緒方あきら/手繰り怪談 零レ糸

 共著での発表はあったようだけれど、単著は勿論初めて。まるで認識はしていなかったのでお初、という感じ。

 怪談としてもあまり印象的な話は無く、しかも何だか話の力点の置き方が妙なので余計に散漫に感じてしまう。

 「黒いバイク」バイク自体も怪異だとして、人によって見えているものが違う、というのはどういうことなのだろう。もう一人の子供はより稀薄な存在ということなのか。

 「年賀状」死んだ友人から来る年賀状。実家の親が代筆する、というのも通常では考え難いところだけれど、その両親が死んでしまった後にも届いてしまう。
 一体誰が送っているのか。

 「誰もいない」概ね全ての墓で見えているようなので、霊というわけでも無さそうだ。
 何が見えてしまったのだろうか。そしてこの友人はこの時だけ見えていたのか、それともそうではないのか。後日の反応からするとその時限りのものに思えるけれど。
 土を骨壺に詰める、という話は聞いたことが無い。しかし、こういった風習は土地によって異なるので、そういった地方もあるのかもしれない。
 ただ、そういったものではやはり替わりにはならない、ということを示唆しているようにも感じられる。

 「神隠し」好きなタイプの話であるだけで無く、道具立ても面白い。
 神聖な森の奥にある聖地。沖縄の御嶽のような空間か。
 その中心にある聖域に侵入したが為に家族ごと記憶からも消去されてしまう。結構怖ろしい話だ。
 家族はどこに行ってしまったのだろう。それとも存在そのものが無くなってしまったのか。そして、何故語り手だけが記憶し続けていられるのだろうか。色々と想像してしまいたくなる。
 中心の建物、というのがちょっとイメージできない。電信柱をもう少し短くしたような円柱の木で出来たもの、とすると、切られた電柱、短い柱しか思い浮かばない。これでは建物とは言わないだろう。
 諏訪の御柱を思わせるところがあり、木の柱だとしても成立する話ではあるのだけれど、あえて建物、と記した意図が見えてこない。もう少し詳細を明かして欲しかった。

 何となく、語り手が怪異を淡々と受け入れてしまっているような印象を受ける話が多い。
 最後の台詞が諦め口調になっているケースが結構有るせいかもしれない。
 そういったまとめ方のせいもあってか、話の内容以上に淡泊、という怪談としてはあまり望ましくないイメージが全体につきまとってしまうのかもしれない。
 中にはユニークなネタもあるのだし、何かしらの改良が見られれば大分違う印象になってくる気もする。

手繰り怪談 零レ糸posted with ヨメレバ緒方 あきら 竹書房 2020年10月29日頃 楽天ブックスで見る楽天koboで見るAmazonで見るKindleで見るhontoで見る