久田樹生/「超」怖い話 怪仏

 薄い。
 勿論厚さがではなくて、内容がだ。
 とても久田怪談とは思えない。

 前回の「怪神」と対を成し、今回は「仏」関連に絞られている。
 元々仏教、あるいは仏さま、というのは基本有難いものだし、何やら怪しいものを芯に秘めている日本の神さまのように「祟る」ということもない。
 さらに、ネタ的にも個人的に好みである不条理な話や異世界譚のようなものも概ね排除されてしまう。
 そうした制約や嗜好性に拠るところがあるにしても、今回は怖くなかった。

 最初に目次を見たら話数がかなり少なく、これはじっくりと語られる話が多いのか、と期待していたら、実のところ一つの括りの中で独立した話にはし辛い程度の小話が連ねられている、というものが多かった。
 これも薄味になっている大きな要因の一つだろう。

 冒頭の「警告」はどちらかと言うと日本的な土俗神に関わる話。
 初っ端から何故か規範を逸脱してしまっている。何か障りがあって、話の設定を変更しているのだろうか。
 しかし、この神、社を建てても怒るとは何と理不尽な。日頃よく神社にはお参りしているのでちょっと怖くなる。
 でも、文化財に指定されるような神社はそれだけ開かれている、ということだし、それを許している時点で神様も鑑賞するという行為を許して下さっているのだろう。
 鈍いからかもしれないけれど、これまでそんな妙な気分になったことは一度も無いし。
 
 「五右衛門風呂」のような釜は鳴くことがあるようだ。
 有名な吉備津神社の鳴釜神事のようなものまである位なのだから。
 確かに母親に怒ったことが何なのかとても気にはなるけれど、それは怪異ではなさそうだ。
 時代を感じさせるし興味深い話ではあるものの、これは怪談と呼べる程のものではなさそうだ。こういったものまで載せてしまっているあたりに今回ネタに余程困っていたのだろうか、と思わされる原因はある。

 「元凶」はなかなか壮大な因果譚で読み応えはある。
 しかもこうした話としては珍しく因果の答えも、おそらくは、という形で想像させてくれてすっきり出来る。
 だが、これもまた根本的に怪談なのだろうか。
 立派に見えていた仏壇がいざ取り壊されてみると張りぼてでみすぼらしくすらあった、というのは不思議とは言え、暗い中で特別な雰囲気を持って飾られているとそう見えてしまっていたということも充分に考えられる。
 母のエピソードにしても、本人であった可能性もあり、そうでなかったとしても誰か確認したわけでも、あり得ない出来事が起きたわけでも無いから、別人を勝手にそう思い込んでしまっただけ、かもしれない。少なくとも、怪異と決めつけられるものでは無い。
 義父の死も、謎が全く解かれていないので、単に母親が責任を感じていただけ、とも思える。
 ぐっと引き込まれる話ではあっただけに、何だかかえって悔しい。

 「古刹にて」のうち“神木を売る” 。
 こういう、多数の人間が皆はっきりと認識している事件というのはやはり興味深い。
 一旦倒壊したのは確実なものが、一夜にしてまた直立し蘇りまでしてしまった、というのは何とも凄い。男の死などおまけのようなものだ。
 しかし、考えてみると、お話をされたのは僧侶としても、この話はまたもや仏の話ではなく神の祟りだ。
 やはり怪談としては仏より神さまの方が数段面白く、そして怖いのかもしれない。

 こうしてエピソードを拾い上げようとしても、元々印象に残る、新鮮だと感じるものが少なかった。
 そろそろこうしたテーマ性の強いものから離れて、純粋に「怖い話」を読ませてもらいたいものだ。

元投稿:2015年5月頃?

「超」怖い話(怪仏)posted with ヨメレバ久田樹生 竹書房 2015年05月 楽天ブックスで見る楽天koboで見るAmazonで見るKindleで見るhontoで見る