著者の加門七海氏は自分の体験を主に書いている方なので、怪談を読んでいる、というよりはエッセイを読んでいるような気分を味わえる。それはそれで悪くない。
しかし、怪異そのものが、何か嫌な気配を感じる、という類のものが結構多く、当人としては怖くて堪らないものなのだろうけれど、読み手にはとても伝わり辛い。
その感覚までは共有できないからだ。
怪談、というからには、やはり視覚的な何かであったり具体的に起こる現象であったり、という受け手がイメージできるものが無いと、こちらまで怖い思いをすることは出来そうにない。
「船玉さま」表題作であるこの話、怪談としては、左程強烈ではない。
むしろ拍子抜けと言っても良いかもしれない。
しかし、この作品の魅力は、まさに冒頭書いたようなところにある。
怪談なのに、実際の怪異に至るまでがえらく長い。
語られ始めてから、本編のエピソードが登場するのは7頁目。その語りはようやく9頁目からスタートする。
そこまでは、著者の好き嫌いや体験談。わずかに怪に関わる文言なども差し挟まれたりはするけれど、主眼はそちらにはない。
とは言え、それで退屈するようなことはなく、その語りに身を委ね、その思いに共感したり疑問を感じたりたゆたっているうちに、いつの間にか怪談へと惹き込まれていく。
落語の枕から本編へと流れていくのに似ている、かもしれない。
本題に入ってからも、時折語り手と著者とのやり取りがインサートされたりもし、一度打ち切られ、後日の語り直しになったりもしながら結末へと向かっていく。
そういった辺りも通常の語り手によって語られる怪談、というよりは物語やエッセイに近い。
怪談本としてはどうなのだろう、と思うところもあるけれど、読み手としては、別に怪談らしくなければいけない、というものでも無い。面白い、読むことで満足できるかどうかの方が重要だ。
そういった意味では、それなりに楽しませてくれる作品ではある。
また、以前からかなり気になっている「蛭子神」に関わる話であるところにも注目。
これがどれ位メジャーな信仰なのかは不明ながら、参考にはなる。
女性怪談作家は、と一括りにしてしまうのは良くないことかもしれない。
しかし、やはりそれでも女性作家の怪談には、男性とは異なる傾向が、確かにあるように感じられる。
怪異そのものよりもそれにまつわる人の心情の方がリアルに描き出されていたり、著者の思いが全面にでてきていたり、といった面だ。
それが独特の味を生み出しているところがあり、読んでいてそれなりには楽しめる。
ただ、冒頭にも書いたように、これらが怪談本であることを考えると、もう少し純粋な恐怖や凄さを感じさせて欲しい、とも思ってしまう。
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加門 七海 KADOKAWA 2022年02月22日