瞬殺怪談 碌

 ショートショート怪談である「瞬殺怪談」。
 もう第6弾目らしい。
 日頃長編の方が好き、と言っておきながら、このシリーズでは気に入った話に沢山巡り逢えることが多い。
 今回も外れなし。
 ちょっと数は多いけれど感想を綴ってみたい。

 「血まみれ」霊を見ている間死体が見えていなかった、というのが興味深い。まるで「姑獲鳥の夏」か。

 「売地」何十年も焦げ臭さが続いている、というのは異常だ。
 この場所のように言わば「忌み地」となっているところには興味を惹かれる。先日の西荻窪にあった猫塚など、もう無さそうなのは判っていながら一度訪問したい位だ。
 ここも見たところで何も無いのに一度拝んでみたくて堪らない。

 「わがまま」死んでも見栄を張る、そんな事例はこれまで全く聞いたことが無い。
 墓の彫りを二度間違えるなど、まずあり得ない。一度ならともかく、次は間違いなく注意深くやる筈だからだ。
 一体こんな所行がいつまで続くのか。永遠だとすると遺族は堪らないだろう。

 「イコール」両足だけ腐敗の進行が早い死に方など想像がつかず、何だか怖ろしい。

 「水とおしぼり」一つ多く持ってこられる水とおしぼり、というのなら定番だけれど、その逆は珍しい。最近どこかで一度ちょっと似たような存在感が希薄になる話は読んだような気もするけれど。
 何か回避すること、というのは可能だったのだろうか。
 最後のオチは不要。

「ここにあらず」親族が亡くなる時に挨拶に来て、という話なら時折あるものの、このように家族を無視して何かを探しに来る霊、というのは不思議。
 結局見つけられなかったようだけれど、一体何を探していたのだろうか。

 「天上人」人のような形をして重さもそれらしい物体。それが御札を剥がしただけでただのシーツになってしまう、とはなかなかなものだ。持ち出す時二人で持っているのでその時点では中身が詰まっているとしか思えない状況だし。臭いもその元が存在していない。
 本当にただ外を歩き回るだけならまだましだけれど、次第にエスカレートするのが怪異でもある。早々に逃げてしまうのならそれもありかもしれない。本当に逃げ切れるのなら。

 「子猫」死んでも拾ってもらいたいと変化(へんげ)する子猫。やはり猫は怖い。
 止めようとした声は一体誰のものだったのか。

 「失踪」一家四人が同時に神隠しに遭い、その間の記憶も無い。
 その不条理さが堪らない。
 次第に家族間で思い出されている情景というのも何ともシュールで、どこかから紛れ込んだもの、という感じがしない。後からどこかで聞いた・読んだ話を記憶と勘違いしてしまっている、とは思い難いオリジナリティだ。
 誰の葬式なのか、葬式以外に何があったのか、知りたいことは山とある。

 「空っぽの子」中国ならあり得ないことも無い、と思えてしまう。
 その恨みの晴らし方も、物理的な攻撃が仕掛けられている辺りもやはり日本には無い発想だ。

 「フェンス」これまた一度訪れてみたい謎の神社噺。大阪だから簡単じゃ無いけど。
 google mapによると阪神高速扇町料金所のところにある「八重垣大明神」のようだ。鍵のかかったフェンスの写真もばっちり載っている。
 この由来はこの中に書かれている通りのようなのだけれど、ネット情報では何故かその70年後唐突に「八重垣姫」と吉五郎、という男との間に似たような事件が起こり、その八重垣姫を祀ったものだとか。
 江戸時代なのに何故姫が登場してくるのかも変だし、それが祟りだとしたら元の「お糸さん」の方を祀るのが筋では。
 何か隠されたいきさつがあるようで実に不気味だ。
 また、この話で思い出されるのが滋賀県草津市にある立木神社。
 その境内の隅の方に小さな池がありその中の小島に弁天社が。
 それはごく普通のことながら、その社に通ずる小道の入口が封じられている。
 そして、そんな神聖な池の筈なのに水が白く濁り切っているのだ。単に汚れているのとも全く違う。
 なぜそんな色になっているのかまるで想像がつかない。
 いずれ明かしたい謎の一つだ。

 「とりかえっこ」この本では猫の恐るべき力の一端が明かされている。これもその一つ。
 江戸時代から猫が人に化ける、という話はあるから、これ位のことなら簡単に出来そうにも思える。
 ビジュアル的には、確実に伝説のSF映画「ハエ男の恐怖」(あえて今一だった「ザ・フライ」では無く)を思い出す。

 「仏壇」何人もの人間が関わっており、信憑性の高い案件。腰の曲がった女性一人でも持ち上げられる重さだった、というオチは面白い。

 「砂遊び」こういった現象が起きる原因は何なのか気になる。

 「ナイター中継」野球試合の内容をあらかじめ詳細に語れる、というのは偶然ではあり得ないものだ。
 ただ、この男野球の試合内容は見えても自分の未来のことは見えなかったのだろうか。
 と言うか、どんなことをどうすれば見ることが出来たのだろう。野球の試合などかなりどうでも良いものだし。

 「花一輪」可愛らしい話かと思わせて、結構ぞっとするオチ。
 写真を撮ろうとするとぶれてしまうのは、現実の花ではなかったからなのだろうか。
 死神か悪魔のような存在が、上品な老婆の姿で現れる、というのも怖い。

 「マー君のハサミ」守り形見のような話かと思ったら、意外にも執念の証だったかのようなものへと急転直下変じてしまう。その展開の妙が面白い。

 「線香分け」無縁のような墓に関わると碌なことにならない、という話が多い中、御礼に乳歯を抜いてくれる、というのは心温まる。

 「小屋にいるもの」これは好きなタイプのネタ。
 ただ謎なだけではなくちょっとしたヒント(それで結論が出るわけでは無いけれど)や恐怖エピソードも盛り込まれており、長編に負けない読み応えがある。
 件ものかと思いきやそうでもない。見えない存在というだけでも無い。
 掴まれた足が腐ってしまうというのは何とも怖ろしい。
 ただ、二言三言で相手を黙らせるだけの存在であることは確かだ
 いつかどこかで種明かしもしてもらえないものか。

 「バイク旅行で見たもの」2m大のバッタ、というのは意表を突かれた。UMAにしても聞いたことがない。ある種とんでもなく不気味だけれど、一方で何だか感情や威圧感などが無さそうで、まるでオブジェのようにしれっとそこにありそうでちょっとおかしくもある。そういう意味で、昆虫の霊、というのは元より怖くはなりそうもないようだ。

 「知らせの家」ある種縁起でもない家なわけだけれど、地域から忌み嫌われるのではなく溶け込んで受け入れられている、というのが興味深い。
 しかもそこでの応対によって死を逃れることも有り得る、というのは相当に重大なことに思える。それで対策を打てることもあるのではないか。もう生まれてしまっていたら無理なのだろうか。

 「覗き」隣のおやじは、生き霊を飛ばしている、ということなのだろうか。それとも実は物の怪なのか。時折にやつくおやじの生首が浮かんでいる、となればそれは堪らないだろう。

 「睨む母」死んだ後は感情が失われてしまっている、という例も多い中、感情剥き出し、というのがちょっと面白い。

 「閻魔」閻魔の絵というのは結構珍しい。
 子どものいたずら心、というのはよく判る。たった一度の過ちにしては、罰がなかなか強烈だ。
 広島弁(もしくは岡山)らしき口調で懺悔する兄の台詞が残った。特に「つまらんことをしたのぅ」が良い。

 このように興味の持てる作品も多かった一方で、今回ショートショートならでは、というまさに一瞬でぞくり、ぎくり、とさせるようなものは少なく、かなり短い短編、という躰の作品が多かった気がする。
 中には明らかに通常の作品集に入れるには長さも内容の深さも足りないからここに廻したのでは、と思えるようなものもあった。
 そういったものはどこにあろうと駄目なものは駄目なのできちんと諦めて欲しい。

瞬殺怪談 碌posted with ヨメレバ平山 夢明/我妻 俊樹 竹書房 2020年07月29日頃 楽天ブックスで見る楽天koboで見るAmazonで見るKindleで見るhontoで見る