黒木あるじ/怪談売買録 嗤い猿

 出店で怪談を収集する、という「怪談売買録」シリーズの新作。
著者も記す通り、向こうから怪談を語りに来る、というスタイルのせいか、通常とはちょっと毛色の異なる作品が多かった。

 「跳ぶ婆」正座したままの跳躍、シンプルだけれど、結構強烈。図を想像してもなかなかにインパクト大。ただ、どうしても麻原彰晃の姿も同時に思い浮かんでしまうのが難点か。彼女の最期も何があったのかいろいろ考えてしまう。

 「霧ゴム」およそ聞いたことの無い怪異。塗り壁に近い存在かとも思うけれど、あれも弾力があるわけでは無いだろうし、行為が全然違う。確かにこんなものがもし実在するのなら、山など怖くて登れない。山の怪異(安曇潤平etc.)含めいろいろと山の話や遭難事件など読み聴きしてきた中で他には出会った記憶が無いので、鵜呑みにするのも躊躇されるところではあるが。

 「ねずみ」部屋の天井からいきなり生きた鼠が落ちてきて、それが瞬く間に腐乱死体にまで変貌してしまう。いやなかなかに凄い。怪異そのもの、である。
 しかも、最悪の物体がその場に残されてしまったまま。これ以上経験したくない事態もそうはあるまい。

 「あげる」街中を歩いていてこんな目に遭ったら本当に嫌だ、と言うか困る。語り手は間一髪で何故か気づいて事無きを得たけれど、そのままという人もいそうな気がする。

 「五人目」合わせ鏡絡みの怪談は時折登場する。ただ、途中の一人が手を振る、というタイプの事例は覚えがない。そして、これが気になった理由は、むしろ先生がこの事実を既に知っていたこと。事の真相が是非知りたかったところだ。また、大騒ぎになったようなのに何も語られることが無かったのは何故なのだろう。

 「反転」ありそうで無かった反転世界。これも新鮮で興味深い。このジャンルもまだまだいろいろなネタがありそうだ。しかも、作中語り手自身が言及してるように、自分一人なら何らかの病気、という疑いも残るけれど(それには矛盾もあるものの)、母親も同時に同じ体験をしている、というところから信憑性がぐっと増している。無理とは知りつつも、迷い込んでしまった理由が判ればなあ。

 「喪字」書いてはいけない文字が家系で継がれている、というのは面白い。しかも、それが著者にも障りを生じてしまう、というおまけまで。当然ながら何という字なのか気になって仕方ない。

 「おむかえ」初盆の父があの世への帰還にタクシーを使おうとする。ちょっと楽しくちょっと哀しくちょっと不思議。強烈なネタ、というものでは無いけれどじんわりと来るものがある。しかし、タクシーでどこに帰ろうとしていたのだろうか。

 「うしのおもいで」自分では昔懐かしい思い出と思っていたものが実はそうではなかった、という話はたまに存在するので新しいとは言えない。
 でも、ここでは自分の産まれる前、ということなら状況が一致する、というよりややこしい話になっている。あるいは父の記憶なのではないだろうか。

 「紙垂」最近ではパワースポットなどと呼ばれることもあるし、聖なる空間である神社では、怪異というのは元々起き難いのかもしれない。ただ一方で神の威光とでも言うべき事例というのもこれまでほとんど聞くことは無かった。
 ここでは台風の最中、紙垂が全く揺れもしない、というやはり自然や偶然ではあり得ない出来事。何とも不思議だ。

 「読むな」名前を呼ばれることで突然激しく暴れ出す自販機。扉が開いて中から何か出てきた、ところで語り手は逃げってしまっていて、何者なのかは判らない。実に残念だ。当然ではあろうけれど。
 この話が印象的だったのはそのビジュアル的な恐怖も勿論ありながら、この周囲が全て廃屋であった、という事実。ただの偶然、という可能性があるとは言え、この何かによって皆ここに居られなくなってしまったのではないか、と想像すると一層怖ろしいものに感じられる。

 「余談に似た、あとがき」で触れられた二つの怪談は、どちらも強烈、というものでは無かったけれど、こうして二つが見事に繋がってしまうと読んでいて鳥肌が立ってしまった。しかもその内の一つは著者自身の体験。やはり因果な仕事ではあるのかもしれない。

 強烈な作品というのは無いものの、何か気になるような、興味深い作品を多数含んだ佳品であった。

元投稿:2019年12月31日?

怪談売買録 嗤い猿posted with ヨメレバ黒木 あるじ 竹書房 2019年11月29日頃 楽天ブックスで見る楽天koboで見るAmazonで見るKindleで見るhontoで見る