この前から旧投稿は一旦ストップし、これがおそらく約三年半ぶりのものとなる。
ここからは保存されているものがほとんどの筈。
一度ほぼ入力したものが消えてしまっていた。これも怪談だろうか。
まあ、実際には単にきちんと保存せず再起動をかけてしまっただけの話なのではあるが。
気を取り直してできるだけ記憶に基づき再現しつつ書き直す。
沖縄の話はやはりこちらのものとは毛色が異なっているものが多い。
全体にほとんど恐くは無いのだけれど、怪異との距離が近い、と言うか、不思議なことも違和感なく受け入れられてしまうような印象がある。日常と不思議とが繋がり連続しているような感じだ。
言葉同様、こうしたところにも古い意識が残っているのかもしれない。
「墓場の声」も、墓の前に会食もできるような空間を設けている沖縄ならではの話。
二人が同時に体験している、という点で貴重だ。
「スーマンボースー」は全く恐くは無くむしろ可愛くて哀しい。
女の子なのに「すまん」と謝って「坊主」と呼び捨てにしてしまっているのも微笑ましい。
「古民家の屋根には」この本にしては珍しくとても厭な話。ただ、おそらくは相当の因縁がありそうなのに、それが全く明かされないのは何とも残念。
「郵便渠気字」好みの異世界もの。とは言いながら、表題にもなっている看板の文字や年号など、単にどこか他の世界に忍び込んでしまったという風でも無く、謎しか無い。
「渠」という文字については、親戚の名前、というより、沖縄では泉を表す文字、の筈。 ある種神聖な場所でもあるようだし、そこら辺りにヒントがあるのだろうか。
「シーシクェーモー」はその前からいくつか続く話の結末に当たる。沖縄にはあちらこちらに御嶽などの聖地が点在している。そして中にはここのようにおぞましい場所、というものも存在しているようだ。
「死者は踊る」も沖縄ならでは。ユタ(元も含め)同士の会話などなかなか無いものだ。但し、怪談に関係の無い笑えない掛け合いは思い切ってばっさりカットして参った方がすっきりしたかも。
ユタという古風な存在とソウルミュージックという異種格闘技のような組み合わせが実に新鮮だ。しかも、彼女が絶対に元々知ってはいなかったであろう「ストリーミング」という言葉を感知した、というのもむしろ信憑性を高めてくれる。
どれも軽い印象は拭えないものの、他には無い味わいで楽しませてはくれる。
そしてまた沖縄に行きたくなってくる。
元投稿:2019年10月頃
琉球奇譚 ベーベークーの呪いposted with ヨメレバ小原 猛 竹書房 2019年08月29日頃 楽天ブックスで見る楽天koboで見るAmazonで見るKindleで見るhontoで見る