東京都美術館/芸術×力 ボストン美術館展

2022年7月23日~10月2日 開催

2022.8.3拝観

 もう何回目かになるボストン美術館の所蔵品展。

 これまでの展示では大半が日本美術(中国含む)。浮世絵の作家一人にフォーカスした展示も多かった。
 二回程、印象派を中心とした展示や、所蔵品の全体像を俯瞰するような企画もあったけれど、かなりの片寄りがあった。

 今回も日本物が中心、というところは変わらない。
 ただ、これまで観たことがないインド美術なども含めて世界の美術を同じ展示空間に取り混ぜて展示する、というのは初めてのことだ。
 全体企画の際も、当然のように時代・国毎に分かれていたので。

 総展示点数は56点と少ないながら、そうした試みを含め、なかなか興味深い展示だった。

 まずは、日本にあれば国宝間違いなし、教科書でもお馴染みの「平治物語絵巻 三条殿夜討」と「吉備大臣入唐絵巻」。
 前者1巻は勿論、後者の全4巻の全てを一室使い切って見せてくれた。
 全巻全場面余すところなく展示してくれたのだ。

 あの燃え上がる屋敷の炎も犇めき合う騎馬武者軍団も観放題。
 かのどう見ても登れなそうな高楼が繰り返し描かれているのも、いくらでも観られる。

 吉備大臣入唐絵巻自体を観るのは5回目なのだけれど、ほとんど解説は読まないので、この建物が元々出入りできないような建物である、という設定だったとは、知らなかった、もしくは忘れてしまっていた。
 子供心にいや、こんな建物ある筈無いだろう、と昔の人は無茶な誇張をするものだ、と馬鹿にしていた。
 これは、心から謝らねばなるまい。あり得ないような建物を表現するためにわざとやっていたとは。
 教科書でも、そこまで解説しておいて欲しかった。でないと、同じように思っていいる子供は無数にいる気がする。

 初めて観る大日如来坐像もなかなかのものだった。
 まず、12世紀初頭(1105・長治2年)という銘のあることが凄い。
 銘が刻まれ、この時期の作品と明確に判るものはそう多くないのでは。
 しかも、顔の表現は典型的な12世紀の大日如来像とは大きく隔たっており、むしろ11世紀風だ。
 体躯の厚みもまだしっかりとあり、これも時代よりは古い印象。
 一方で、衣紋の彫りの浅さは12世紀のもの、という感じもする。
 全体にとてもしっかりと作られており、かなり美しい仏さまだ。
 どこで造られどこに祀られていたのか、伝承は残されていないらしい。
 しかし、胎内に残された墨書によると山城氏が関わっているらしい記述があり、京都周辺で出来たものの可能性は高い。
 総合的に考えると、当時の中心的な仏師、というのではなく、その影響を遅れて受けた仏師によるもの、とみた方が良い気もする。

 賢江祥啓の「山水図」が実に素晴らしかった。
 観るのは2度目らしいけれど、まあ全く記憶に無い。
 構図といい筆の運びといい、見事としか言いようがない。
 およそ完璧だ。
 この作品であれば、同時代の雪舟にも全く引けを取らないだろう。これも重文、あるいは国宝になっても当然、と感じる。

 玉畹梵芳「蘭石図」なども安定の良さだ。

 狩野永徳(伝)「韃靼人朝貢図屏風」は二曲一隻しか現存していないものの、元々は襖絵であった様子。
 人物や馬が繊細かつ力強く描かれており、描き分けもしっかり。
 本当に永徳の作なのでは、と思わせる上質の仕上がりだ。
 あり得ないこととは知りつつも、もしやこれは安土城障壁画の生き残りなのでは、などと妄想を膨らませてしまうのも、また楽しかったりする。

 狩野探幽の「楊貴妃・牡丹に尾長鳥図」、狩野山雪の「老子・西王母図屏風」なども、実にしっかりと描かれた一級品で、保存状態も素晴らしく、惹きつけられる。
 一旦観始めると去り難い気分に間違いなく陥る。

 増山雪斎という絵師の作品には、これまで東京国立博物館で画帖(4帖)と軸物一点ずつ観た位で、ほとんど接する機会はなかった。
 しかし、今回日本初公開というこの「孔雀図」を観ると、相当な画技の持ち主と思われる。
 孔雀は勿論、鳥たちが何とも生き生きと表現されているのだ。
 動物を生きているように、動きを感じさせるように描ける、というのは絵師の腕次第。
 それが出来る人は本当に巧いと思う。
 この作品も体のちょっした捻りとか、孔雀の半開きになった目など、特有の仕草が見事に再現されている。
 とても大名の余技には見えない。

 中国絵画も、日本にもほとんど残っていない北宋11世紀の作品、しかも(伝)付とは言いながら范寛のものがあったりはするけれど、今回は地味な印象。
 中では、陳容(伝)「龍虎図」で、お互いに噛み付きあっている龍と虎の表情や龍に食い付いてぶら下がってしまっている虎の姿が可愛い。

 むしろ、順に廻っていると、いきなりエル・グレコやらカナレットやらジェロームやらの作品が登場して驚かされる。

 ジェロームの作品「灰色の枢機卿」は輝くように美しく、シニカルな構図も面白い。
 また、カナレット「サン・ジョルジョ・マジョーレ聖堂、サン・マルコ沖から望む」は
彼にしてはかなり大きな作品だし、船や人物も大きく描かれていて、全体に見応え充分。
 カナレット一番の傑作かもしれない。
 新婚旅行でこの聖堂にも訪れており、最も印象に残った土地でもある。
 正直、欲しい。

 18世紀にイタリアで制作されたというギターも、装飾が華麗で素晴らしい。
 まるで正倉院の琵琶のようだ。

 今回、会期が始まったばかりだったので、まだかなり空いていた。
 絵巻なども、特に最後の方はもう独り占め状態。贅沢な気分を味わえた。

 ボストン美術館の所蔵品を拝見すると、毎度感じることながら、とにかくどれも状態が素晴らしい。
 改めてその凄さを実感できる。

 また、作品の出来そのものもとんでもない。
 その作家の一番傑作なのではないか、と思えるようなものを手に入れている。

 以前観た仏画も、もう国内にはこれだけのレベルのものは全く無いかも、と思えるだけのものがぞろっと揃っていた。

 まあ、国内が不安定で廃仏毀釈もあり、貴重な美術品が流出するばかりでなく次々と失われていた中、岡倉天心とフェノロサの行いは大変有難いことではある。
 しかし、改めて、奴ら、良いもの持っていきやがったな、とも痛感させられる。

 ここは、作品の保存・修復においても、展示の際の照度や温湿度管理に関してもとてもしっかりしているので、ボストンの所蔵になったおかげで最高の状態のまま残されている、という面はあるかも知れない。
 国内にあったら、もっと状態が悪化してしまったり、天災の多い(+戦災も)土地柄でもあるので、どこかで失われてしまっていたかもしれない。

 そう考えればボストン美術館に守ってもらえていた、というのは作品にとっては幸せなことなのかも、とは感じる。
 しかし、やはり日本の宝たち、出来れば国内に残っていて欲しかった、という思いは拭い切れない。

 それにしても、日本国宝展レベルの充実した作品に囲まれ、幸せな気分に浸れる充実した展覧会だった。
 時代や国を超越した不思議な展示スタイルも、最初は戸惑いを感じたことは確か。
 でも、慣れてくると、とにかく作品自体が素晴らしいものばかりなので、逆に次に出会える作品のを予測出来ないことが、ちょっとした出会いと発見に繋がって意外と面白い。
 やはり展覧会は観てみないと判らない。

 本来なら2020年に行おうとしていたものの、新型コロナによる緊急事態宣言によって一旦中止になってしまったもの。
 こうして何とかリベンジ開催を実現してくれたのは、本当に有難い。