全てでは無いにしろ、群馬県(特に高崎)に絞った、ユニークな本。
とは言え、最近竹書房は何故かやたらローカル色の強い怪談集を次々と発売してきているので、直に珍しくも無くなってしまいそう。
北関東なので、それほど強烈な地域特性が出ているものでも無い。
全体にもう一つ強烈なものは無く、淡泊な印象。であった。
「ほうたいさん」は何とも変な話。
ふと知り合った人間が実は虐めていた相手で、という話は時折ある。
しかし、ここでは実際の相手はしっかりと生きており、直接絡んでいたわけではなさそう。一体この怪異の原因は何なのだろう。
と思わせておいて、最後のエピソードでがらりと様相が変わる。
相手の陳述は全て嘘で、自然に出来たと思っていた彼女の存在含めて、全てが仕組まれたもの、という可能性もあるのだ。それにしては、特に何もせず放置するだけ、というのはどうなのだろう、と思わなくは無いものの、体験者がその下りになるとおかしくなってしまうのは何らかの精神的な攻撃を受けていたとも考えられなくはない。
子供の時とは言え、虐めていた相手がそのままの名前で現れて気付かないものなのか、ちょっと疑問は残る。あらに、何か仕掛けるとしたら、そのまま本名を名乗るだろうか、というのも気になるところ。
「死猫三景」著者も書いている通り、まさに「薮の中」な話。
同じ怪異でも、人によって受け取られ方は全く異なる、ということの証でもある。
ただ、立場的に考えても、三番目の友人の見た「モノ」が一番真相に近い可能性は高いだろう。当事者の二人は精神的にも憑かれている、とも解釈可能。
それにしても、このように一つの怪異を多角的に捉えた、という話は多くないので、とても興味深い。それだけ確かな事例、ということでもある。
「改竄」階段を語り記録することに関わる話。
以前に体験者の方以外から怪異の記憶が失われていってしまう、という話はあった。
しかし、ここでは真逆で語り手がまず忘れてしまい、著者にだけ残っている、というもの。しかも、一緒に話を聞いた奥さんまで途中までは覚えていたのに忘れられてしまう。
神という存在の凄さ怖さを改めて見せつけられる。
著者はまだこの話を覚えているだろうか。そして、この本(もしくはその内容)はいつまでもちゃんと元のまま(現れたのが狐面では無く大きな柏手)残るのだろうか。
そして、それらがもし変化してしまうのだとしたら、この文章もそれにつれて消えたり違うものになってしまったりするのだろか。きっと確認のしようも無いのだろうけれど。
「着信音」幽霊ものと異世界ものが繋がったかのような話。
携帯電話の着信音が鳴れば本当に助かったかどうかは判らない。
ともあれ、霊に引きずられ別の世界(あの世?)連れ去られそうになる、という意外と強烈なネタ。こんな奴がいるとなるとうかうか知らないところをうろつくのも怖くなってしまう。
しかも一体どこへと連れて行かれてしまうのだろう。
最後にメールが送られてくるところを見ると、全く隔絶したところ、というわけでもなさそうだ。ただ、恨んでいそうなところからすると、パラダイス、とも違いそう。
眉村卓の「ぬばたまの‥‥」などを思い出し、今のWさんの姿を想像するだけでも実に嫌な気持ちになる。
後を引く佳作だ。
「太刀魚と刃」禁足地に纏わる話。
日本各地様々な場所に侵してはならない土地=禁足地がある、という伝承は伝わっている。
しかし、そのほとんどは既に伝承のみとなってしまい、今でも足を踏み入れられない、というところなどもう無さそうだ。とりわけ神聖視されているところにしても、大切に守っているためあえて入ってはいかない、という程度で、入ってしまうと確実に呪われる、というものなどどこかに残っているのだろうか。
そんな疑問に対し、現代でもまだそうした場所が全て失われたわけではない、と教えてくるものとなっている。ただ、時間の経過と共に呪いも弱まっているのか、じわじわと痛めつけるだけで、直ぐ命を奪ったり出来るものでは無くなっているようだ。それで助かったのだろう。
今回は著者も初めての方やあまり馴染みのない方が多い。手練れの作者はいない印象だ。
それもあって、どうしても弱い印象になってしまったのだろう。
また、高崎、群馬に特定したネタはその制限のせいか一層残るものが少なかった。
上に挙げた作品はどれもご当地ものでは無い。西日本の海ネタまであるし。
元投稿:2020年5月頃
高崎怪談会 東国百鬼譚posted with ヨメレバ戸神 重明/籠 三蔵 竹書房 2020年02月28日頃 楽天ブックスで見る楽天koboで見るAmazonで見るKindleで見るhontoで見る