東京国立博物館/特別展 きもの

2020年6月30日~8月23日開催

2020.7.21・8.12拝観

 染織品はなかなか展示機会が少ない。
 繊細な扱いを必要とするし、移動や展示を行うだけで破損してしまう可能性があるものだから、あまり積極的に取り上げたい、と思わないのも理解できる。

 今回、そうした染織品の代表である着物にフォーカスした展覧会。
 開催が発表された時点から期待は凄いものがあった。これが上野の森美術館だというのならともかく、東京国立博物館であれば珍品逸品を一堂に会してくれるのでは、という願望が湧き上がるのを抑えられなかったからだ。
 ただ、一方ではそんな夢のようなことはあるまい、という現実的な諦めの気持ちもよぎること頻り、どんな代物になるのか、固唾を呑んで見守る、ということになっていた。

 開催時期も近づき、ついに展示作品リストが公開され、やはりな、という落胆気分が8割、意外な作品に出会うことが出来そうだ、という興奮が2割、辺りで落着した。

 結局、展示作品のほとんどが東京・京都の国立博物館と奈良県立美術館、文化庁など公立の所蔵品が占めてしまっていた。
 神社などの奉納品としては既に何度も観返している鶴岡八幡宮の御神宝のみ。
 民間と言えるのも以前は個人所有だった平野美術館の着物位。
 いつかは拝見したい川崎市の明長寺が所蔵する小袖など、全国に点在し通常拝観するのがとても難しい重要文化財の着物をここで、という願いは今回も叶わなかった。

 その一方で、先日の平木浮世絵財団所蔵の清長浮世絵に続き、いつ巡り逢えるか、と諦観にも近い心情で待ち望んでいた作品と出会えそうだ、ということが判明した。

 毎年の新重文・国宝は春のGW時期に東京国立博物館に集められ、まとめて出逢うことが出来る。
 移動が難しいもの、秘仏など特別な事情があるものを除き、個人所蔵も含めてほぼ漏らすこと無く展示してくれるので、新しく指定されるものはこれさえ観ておけばチェック可能、ということになる。
 ところが、2011年、この年はギャラリー開業準備で時間だけは有り余る程あった癖に、つい混乱していたのか、こいつを見逃してしまった。
 これを拝見するようになった1996年以降初めてのことだ。
 因みに、今年は開館自粛時期に当たってしまったため、展示そのものが中止になってしまった。止むを得ないとは言え、何とも口惜しいこと限りない。

 その時指定された作品については、絵画などはほとんどが拝観済みだったしその後様々な機会に出来るだけ積極的に観るようにすることで、およそ2/3~3/4位はこれまでにリカバリーできた。
 しかし、難関として松坂屋コレクション(Jフロント・リテイリング社所蔵)の小袖が立ちはだかっていた。
 冒頭記したように染織品は展示されることすら稀だからだ。たまに松坂屋の着物が出てきたとしても、重文のような貴重な作品は登場することは無かった。

 それが、この展覧会の後期に出品される、という。
 これで前・後期の二回ここを訪れなければならないことが確定した。
 それでも、東京国立博物館らしく基本細かい展示替えは行わず前半後半だけにしてくれたのは良心的であるとも言える。

 この展覧会も日時指定。
 しかし、これまでのついちょっとスケジュールを前倒しできるように配分してしまう、という癖が抜けず、結構入れるまでに時間が空いてしまう。
 近くの考古展示などを観て時間を潰すものの、何だか無駄な気がして仕方ない。

 前期は7月21日に訪問。
 最後の入場時間ということもあり、入る際は勿論、会場内も空いていた。

 着物は絵に比べれば観る時間は短くて済むものの、何しろ東博の展示なので作品数は多くなかなか大変。
 ほとんどは着物に絞られ、わずかに絵画作品と着物の柄を表記した版本(雛形)がちらほらと。
 海外とのやり取りが難しいせいか、メトロポリタン美術館所蔵の着物や浮世絵は全て展示中止となってしまっていた。海外物は状態が凄いことがあるので残念だ。

 桃山以前の初期小袖などはほとんど観たことがあるものばかりだった。
 江戸期になると先にも書いたように大半が公立の三館と松坂屋コレクション、それに女子美術大学の所蔵品など。それに加えて国立歴史民俗博物館にある小袖屏風が何点か展示されていた。

 この内未見の重文作品だった文化庁と京博の小袖、さらに女子美所蔵のほとんどは元長尾美術館所蔵だったものらしい。このコレクションも集めていた夫妻が亡くなるとかなり売られてしまったようなのだ。
 しかも女子美ものは更に数奇な運命を辿る。
 数十点の着物は鐘紡株式会社が購入し鐘紡コレクションと呼ばれることになる。
 しかし、2000年代に鐘紡が業績不振と粉飾決算により企業解散となってしまい、そのコレクションもまた整理の対象となり女子美が譲渡先となったのである。

 展示されている着物を見ると、古いもの程色が地味だ。
 しかし、それは必ずしも元々そうだったわけでは無く、年月を経て褪色してしまったことによる。絵画とは異なり、染織品は鉱物系の顔料は使えず、植物由来のものがほとんどなので、次第に色褪せてしまうのだ。
 現状は小袖裂ということで断片しか残っていない「紅萌黄片身替練緯地洲浜取草花模様小袖(べにもえぎかたみがわりねりぬきじすはまどりくさばなもようこそで)」によってそれがよく判る。
 現状の小袖裂を見ると緑はかろうじてくすんでいるものの見て取れるけれど、後はほとんど茶か黄にしか見えない。これが本来は鮮やかな赤、だったのだ。
 平成に入ってから所蔵する丸紅が復元品を作成してくれた。
 これにより、あくまでも想像の部分も大きいと思われるけれど、その色の鮮やかさ、模様の大胆さを存分に味わうことが出来る。
 実にダイナミックでシャープ、現代でも全く通用する切れ味の良いデザインだ。むしろこんな洒落たもの、まずお目に掛かれない。ほんと欲しい位。
 因みに、着物の名称ってすぐ呪文のように長く判別し難いものになってしまうのだろう。要素に分解していけばきちんと理解できるのは勿論ながら、ぱっと見漢字が連なり過ぎて頭に入ってこない。

 江戸前期には、全面を使って一つのモティーフを描き切るような大胆な図柄が結構多い。
 それが中期(18世紀)頃に入ってくると、もう少し繊細かつ装飾的になってくる。
 中には絵画のように様々な場面の集合体となっているものもあり、かなり目を惹かれた。
 前期で言えば伏見稲荷、吉原の情景を描いたものがあった。しかしより凄かったのは後期展示の近江八景模様と京名所模様。色も実に鮮やかで見事。
 着るには派手過ぎるけれど、飾って楽しみたくなる逸品だ。

 明治以降の近代の着物については基本飛ばしてしまう。
 わずかに岡本太郎原案の作品はしっかりと観た。
 三越の包装紙や袋に使われているデザインそのまま、という服もあった。全身をブランドロゴ全開で固める、という日本人の成金趣味はこの頃から既に健在であったようだ。

 XJAPANのYOSHIKIがデザインした、いう着物も並んでいたけれど、あまりに品を欠いており、キャバクラの着物デーに着たら似合いそう、と思える代物。
 これだけ日本衣装の歴史を追ってきた挙げ句がこれ、というのに学芸員は疑問を感じないのだろうか。まあ、彼などに依頼して出来上がったものに文句を言える強者はいないか。

 また、ほんの僅かながら絵画作品もあり、こちらはいずれも良かった。

 鏑木清方、北野恒富、山川秀峰、伊東深水、中村大三郎という蒼々たる面子による銘酒のポスター原画もなかなかだったけれど、何と言っても素晴らしかったのは高畠華宵の「移り行く姿」。
 六曲一双の屏風、というクラシカルな素材でありながら、そこに描かれているのは現代風の女性たち。
 全体としては着物姿の方が多いものの、洋装の女性も多数描かれており、和服にしても柄は当世風が主なのでモダンな印象は強い。
 本来は少年少女向けの挿絵などを得意としていた画家らしく、女性の表情がどこか幼く、軟らかい。かといって竹久夢二程の癖も無いので登場人物60人余りという賑わいぶりにも関わらずごちゃごちゃした印象も与えられない。
 一番左端にはスキーの格好をしスキー板を持つ、という女性が描かれ、反対の右端にはまるで江戸時代のような夜鷹姿の女性がこっそりと中央方向を見遣っている、というのがまた面白い。
 ウィキペディアによると華宵畢生の力作だったそうだけれど、まさにそれを感じさせてくれる素晴らしい作品だった。

 後期は8月12日拝観。
 前期に比べれば賑ってはいるものの、混んでいる、という程ではなかった。
 やはりテーマも地味目、目玉作品も特にない、ということで注目度が低かったのだろう。
 観る側としては有難いけれど。

 もう気持ちは先に挙げた重文作品一点のみを観る、位の意識だった。
 しかし、染織品は繊細な分長期展示も宜しくないので展示替えする方が多い。特に古いものはほとんどと言って良い位。
 結果、先に書いた「白縮緬地近江八景模様小袖」や「染分縮緬地京名所模様小袖」、背中一杯を使って豪快に落ちる滝とまるで生き物のような波飛沫を描き出し、それが何故か植木鉢に吸い込まれていく、というまるでシュール絵画のように不思議な「白綸子地滝菊模様小袖」など、意外に見応えのある代物に幾つも出逢うことが出来た。

 それでもやはり何と言っても注目は松坂屋コレクション「染分綸子地御所車花鳥模様小袖」。
 おそらくは寛永期頃のものらしい。
 桃山時代と寛文美人図の間、あまり絵画でも描かれることの少ない頃のものということになる。
 確かに、構図は大胆でありながらそこに描き込まれているモティーフはどれも小さく細々としているし、それぞれにあまり関連性が無く散発的に感じられる。その分緻密な印象は受ける。
 丁度京狩野における狩野山楽から狩野山雪への移り変わりに近い気がする。
 山雪好きとしてはこれはこれで楽しめる。
 これでも本来の色とは大分違ってしまっているのかもしれないけれど、朱色など現状でも見事に鮮やかだし、樹木に使われている緑も濃く岩絵具のようだ。
 見応え充分だった。
 やはりこれだけのためでも来た甲斐はあった。

 常設展示・平常展などではついつい観飛ばしてしまうことも多いきもの。
 こうして正面から向き合わざるを得ない場面を迎えてみると、やはりその素晴らしい美しさに感歎するばかりだし、これを創り上げる技巧の見事さに舌を巻くしか無い。
 新規重文作品も4点観ることが出来た。
 それ以外にも望外の楽しさを味わえたことは間違いない。

 ただ、東京国立博物館であるなら、次はもっと全国の珍しい重文染織品を集めて欲しい、と願わずにはいられないのも確か。

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