2020年9月19日~12月13日 展示
2020.12.9拝観
展示中、ということをすっかり忘れ、もう会期末ぎりぎりになってしまっていた。
しかも場所は千葉。
とは言え、現代アーティストの中でも一番好きな作家の一人である宮島達男の個展。
初めての機会でもある。
ほぼ迷うこと無く行くことを決めた。
この美術館は立地もあって、平日はいつも空いている。
もう終了5日前、ということもあり流石に今回はちらほらと人はいるけれど、都心であれば会期前半でもあり得ないレベル。
ほぼ観放題、という感じだった。
入ってすぐからは映像展示と、そのためのドローイングがわずかにある程度。
元々映像ものにはあまり興味が無いので、ちら、と見る位で通過。
それらに関連する写真にもあまり興味は惹かれなかった。
「Changing Time / Changing Art」(2020)という作品では、ディスプレイのガラス全体が不透明になり、そこに沢山表示されているデジタル数字の部分だけが透けて中が見えるようになっている。中には千葉市美術館が所蔵する河原温、中西夏之などの現代作品が展示されており、その数字部分を通じてそれを鑑賞する形だ。
ただ、この数字は固定されているものであり、事実上、単に中の作品を見難くしているだけ、と捉えることも出来る。
これが常に変化し続け、見え方や見易さが瞬間毎に変わっていく、というのなら結構面白い気もするのだけれど。
このフロアで唯一気に入ったのは、休憩コーナーにあった「Counter Window No.3 / 5」(2003)。
正方形の曇りガラスにカウントダウンするデジタル数字が、そこだけ透明になって表示される、というもの。
愛・地球博で初めて知り、最近では原宿辺りの公衆トイレにも採用されたという瞬間的に透明・不透明が変化するガラスを使った作品のようだ。
しかも、2作品が縦に並べられているので、その変化の違いも含めて結構いつまでも観ていられる。
そんなわけで最初のフロアはあっという間に観終えてしまい、これはちょっと失敗だったか、と早くもちょっと後悔しそうになった。
だが、次のフロア最初のコーナーではダイオードカウンター使っていない作品を初めて観ることが出来た。まあ、それもデジタル数字を描き出したものではあるのだけれど。
お札では違法ではないかと考えてしまったり、昔の衣服を使ったものでは文化遺産ともなりそうなものを勿体ないのではないかと思ってしまったり、と作品とは関係ないところが気になってしまい素直に入っていけなかった。
いずれにせよあまり好きなタイプの作品では無い。
彼の作品の幅を知る意味として貴重なものではあった。
この次の大部屋にはダイオードカウンター作品が幾つも並んでいた。
様々なタイプがあり、綺麗な作品が多くて見惚れる。
中でも「Diamond in You No.17」(2010)は素晴らしい。
そこら中凸凹した立体面のあちこちに色とりどりのダイオードが鏤められており、きらきらし見る角度でそれが変化していって観飽きることが無い。
「C.F.Lifestructurism – no.18」(2009)も細い針金で繋がる繊細な作風が素敵。
ダイオードの数が多くは無いので、全部が点灯する瞬間をつい待ってしまう。
結構いきそうでいかなかったりして、その瞬間にはちょっとしたカタルシスが得られる。
家にあったらずっと観てしまいそうだし、癒しにもなりそう。
その次の部屋に展示されていたこの展覧会のための新作2点はあまり面白いとは思えなかった。片方など遠目から斜めにしか見えず、何だか良く判らなかったし。
最後の部屋に展示されていた「地の天」(1996)は千葉市美術館の開館記念展で展示されたものだそうで、館の所蔵。
暗黒の部屋の中、大形の円形スペースは真っ黒。まるで夜の海か深海のようだ。
そこに青いデジタル数字が点在し変化していく。
ちらちらと常に動きが感じられるので、まるで暗闇に浮かぶ蛍を思わせた。
何とも離れ難く、いつまでも居たい感じ。
こういった機会でもなければなかなかお目に掛かれそうに無い「地の天」を観られただけでも有難い、とは言える。
ただ、カウンターものの大作はこれ一点のみ(実はもう一つ)。
小品をまとめて観られた面白さもあったりはするものの、ちょっと不完全燃焼感は否めない。
まあ、大作3点でほぼ終わり、だった熊本市立現代美術館タイプとどちらが満足できるのか、と問われるとどちらも何だか納得は出来ないものではあるけれど。
国立新美術館クラスでみっちりとやってもらえないとこれは解決できないのだろう。
また、新作がいずれもあまり面白いと思えないものになってしまっているのも残念だった。
まだまだ作家としては長く続けることも可能な年代ではあるし、さらに進化していくことを期待したい。
今回、リニューアル記念展、ということだったけれど、特に展示スペースに変化は感じなかった。
と、全部観終えてみて常設展がないことに気付いた。
常設展だけのチケット販売も行っていたので、それもおかしなことだ、と探してみた。
すると、1フロア飛んだ5階に新設されていることが判った。
その分特別展スペースが拡がっていたようだ。
常設展示でも円山応擧の素晴らしい屏風「秋月雪峡図屏風」などが展示され、結構楽しめた。
のはともかくとして、これに関する案内がほとんど無い。否、きちんと見てはいないので見落としているのかもしれないけれど、少なくとも自分が鑑賞し注意していた限りでは、それらしきものは見当たらなかった。
ということは気付かずに見ないままになってしまう人も一定以上はいる危険性が高い。
こういった表示は誰でもすぐ気付くようにするのが正しいあり方だろう。
さらに言えば、口頭でも一言案内するのが親切というものではないだろうか。と言うかそういう館は結構ある。
実は、同じことがこの特別展でも起こってしまった。
どうやら、一階のさや堂ホールに「Floating Time」という作品が展示(公開)されていたようなのだ。
出品リストをもっていながら、字が極めて小さかったことも含めて見落としてしまった。
これもすぐ気付くレベルの案内は出ていなかったように思う。口頭の案内も全く無かった。
帰り際、いつもはちょっとこのホールによって雰囲気を楽しんでから帰ることが多いのだけれど、この日は扉が閉まっていたので、何だ今日は入れないのか、とがっかりした位だ。
扉にも中に作品があります、ようなことを書いてくれていても良さそうなもの。
おそらくそうしたことには気付かない人たちなのだろう。
何だかとても残念で悔しい気持ちが溢れてしまった。
これはホスピタリティとして一番良くないことではないだろうか。