• 中山市朗/怪談狩り あの子はだあれ?

     中山市朗氏の怪談集。
     これは2019年発売のもの。これで現状残り一冊まで来た。

     流石ベテラン、独自の面白さを見せてくれる作品も幾つかある一方で、それは怪談では無いのでは、というレベルも混じってしまっている。
     まあ、思い返してみれば新耳袋も全てが傑作、というわけでは無い、どころか全体としては意外と淡泊な本だった(当時のライバルが平山夢明氏の怪談だったりしたので余計そう感じてしまったのかもしれないけど)のでこれが通常運行、というところか。

     「拉致された?」えらくしっかりとした存在感があって普通に話も出来、握り飯をもらって食べる上に手のぬくもりまで感じる霊。珍しい。しかも時間差でとんちんかんな礼まで言ってくれるらしい。
     また、冒頭に見かけた出来事、これはこの霊がまだ生きている頃に起きたことを見せられてしまったのだろうか。

     「駅の階段」不可思議な異世界もの。否、正確には異世界かどうかも判らない。ホーム自体は現実と変わらないようだし。一体どんなところに迷い込んでしまったのだろう。
     くしゃみをすることで現実に戻れて良かったけれど。

     「コバヤシさん」この話、ただの間違い電話だった、という可能性もゼロでは無いけれど、やはり何だかおかしいし、結構怖い。個人的には充分に怪談である。
     職場など日常的に会っている相手からの留守電を一か月以上聞くことも無く電話番号が変わったことを通知することもなくそのまま放置する、というのはやはり考え難い。
     ノイズの問題も確かに気にはなる。最後の直接のやり取りはどうとでも取れる内容なのでこれについては保留するとしても、奇妙なことこの上ない。

     「送ってって」登場の仕方、会話のやり取りなど、まるで霊的なものとは思えない。
     それでも確かに対応は妙だし、最後は見事に消えてしまう。先の話と合わせ、ニュータイプの霊が登場してきているらしい。
     ただ、ここに書かれているキャラクターや言動を見る限りでは、ずっといたところで何か恐ろしい目に遭うことにはならなそうな気もする。狸に化かされたような感じで。
     一晩中振り回されて気付いたら消えてしまっていた、というような。

     「FAX」FAXを送った後でかかってくる謎の人物からの電話。二件の事例とも丁寧な対応なのが特徴。しかも一方は語り手の住所や電話番号まで知っているという。
     何とも不思議な話だ。本当は誰なのだろう。

     「カラオケボックス」霊と言うより、少し時間を遡ったその場所の姿がそのまま焼き付いてしまったかのような光景を見せられる、という珍しいもの。
     電話については本当に壊れているような風にも取れる。声については判らないけれど。
     飛び降り自殺する現場を繰り返し見せる、という話などはあったけれど、こんなごく普通の日常の一場面を記録してしまう、というのは理解できない。謎だ。

     「空のサラリーマン」全く怖くは無い。しかし、飛行機の翼の上でのんびり足を伸ばして座っている、という情景を想像すると、何とも微笑ましく思えてしまう。
     可能であれば一度やってみたいものだ。羨ましい。

     「二階のトイレ」高校生がトイレに行ったついでに失踪するとは考え難く、いわゆる神隠し案件だろう。
     貴重なのは、消えてしまった友人と似たような目に遭いながら生還できた人の証言があるところ。これで想像は出来る。
     この黒い穴の正体は何なのか、気になって仕方ない。まるで西尾維新の物語シリーズに出てくる「くらやみ」のようではあるけれど。
     この二人の結末を分けたのは何だったのだろう。

     「あの子はだあれ?」小さい頃遊んでいた友達が実際には自分の記憶以外には存在していない、という話は時折聞く。しかし、いずれも実に興味深い。一瞬の記憶、というのでは無いし、想像上の存在、というのも何だか腑に落ちないケースばかり。知らぬ間に世界を移動してしまった、ということなのだろうか。
     しかも、この話では二段階の更なるロケットが仕込まれている。
     まずは遊んでいた家、というのが実際に存在し、しかも記憶の通りだという、.ずっと空き家だったことも確認されている。
     何故ずっとそうで、しかもそれを母親含め皆が知っているのか、というのも別の謎ではある。
     そして、オチが実に不条理。
     その記憶の中の友達とそのお姉さん、母親がそれぞれ全く別の人物として、関係もバラバラに登場してきた、という。いわゆるデジャヴュで片付けられるようなものでも無いし、全てが怪に満ちた、見事な一品だ。

     「陰陽師」語ってくれた、という男の風貌があまりに怪し過ぎ、素直に信じて良いものか躊躇してしまうところはあるも、これまた気になる話だ。
     この感想の中でも時折書いているように、日本の神は結構な比率で祟り神。本来でそうではないものでも、伊勢神宮にわざわざ「荒御霊」を祀る社があったりするように、不敬な行いに対して神罰が下る、と信じられてきた。
     そして、この事例と次の三作品では、その恐ろしさを強烈なまでに見せつけてくれる。
     酔って鳥居を切り倒すだけで、家族五人が一週間で全滅。これはとても偶然で済ませることが出来ないレベルだろう。しかも、祈禱も通じないようだ。
     神社に足を踏み入れる機会は人一倍多いことだし、認識できないものは仕方ないとして、行いには気をつけよう。

     「不動産」これまた神罰話。
     神社の跡地は絶対に買ってはいけない。当然だろう。
     具体的な数字は不明ながら相当数の人が死んだようだし、土地を買った不動産屋まで犠牲に。
     更に境内だけでなく参道に建てても駄目なようだ。確かに参道は神の通り道。
     日本の神は季節や何かの行事の時など移動することが多いものだから、それを邪魔されると障りがあるのだろう。

     「生かしてもろとる」祭に反対し、参加しないだけで一家全滅。つくづく日本の神は怖ろしい。
     この次の「神様の通る道」も参道を潰して建てた家、六家族が全滅だという。

     「牛の首」どこか別の世界に迷い込んでしまった物語。
     何だか民話のような、風情を感じさせ美しい話だ。否、勿論玄関口に血も滴る牛の首が鎮座している、という気味の悪さはあるのだけれど。
     戻れなくなるのは厭だけれど、一度覗いてみたいとは思う。

     中には怪談とは言えそうにないレベルのものも混じってはいる。
     また、「友人の供養」ではストレスで髪が白くなる、という刑事の話がある。しかし、それはあり得ない。髪に含まれているメラニンは変化したり抜けてしまうものでは無いからだ。怪異としてそれが行われた、というならまだしも(検証できないので)、刑事が科学的な様子で語る内容ではない。この時点でこの話には信憑性を感じることが出来なくなってしまう。本来なら著者の信頼性をも損ねかねない。
     中山氏の場合、そうした若干の胡散臭さも含めて個性として出来上がってしまっている練達なのでまあ許容してしまうけれど。
     話の選定にはもう少しきちんとして欲しい。

     しかし、今でも新味のある怪談を盛り込んでくれているし、不条理で奥が深そうな話や神にまつわる恐怖譚を惜しげも無く並べてくれるなど、満足できる室の高い話も鏤められている。
     やはり見逃せない。

    怪談狩り あの子はだあれ?posted with ヨメレバ中山 市朗 KADOKAWA 2019年08月23日 楽天ブックスで見る楽天koboで見るAmazonで見るKindleで見るhontoで見る