• つくね乱蔵/恐怖箱 厭魂

     気づいたら一年も更新していなかったとは。

     その間も竹書房文庫は毎月3冊ずつ新刊怪談を発行し続けているので、それ以外も含めると40冊程感想も書かないままになっている、ということか。

     全て、というのは無理だろうけれど、少しでも拾えるものは拾っていこう。

     丁度復活の幕開けとしては途切れたところにそのまま繋がるこの一冊「つくね乱蔵/恐怖箱 厭魂」。

     新刊を読み切ってしまったものの、どうにも更なる怪談が読みたくて堪らず、四年近く前の「鈴堂雲雀/恐怖箱 吼錆」に引き続いてたまたま手にしたのがこれだった。

     タイミングだけでなく凄い本に行き当たってしまった。

     前作同様、ここで語られている話はどれも読み応え充分。内容的にも興味深いものばかり。

     一作当たりの文章量も全体的に多く、じっくりと描き込まれている。

     細かく挙げていくなら全作品について語りたくもなってしまうところながら、それでは冗長になるばかりなので、涙を呑んで絞ってみた。

     冒頭の「閲覧注意」からもう強烈である。

     目にしただけで必ず失明してしまうというのは猛烈な神意だ。神ですらないのかもしれないけれど、少なくとも祟り神系であることは間違いなかろう。録画してもパワーが衰えないというのは「リング」を思い出させる。

     続く「帰りません」も同じような山の神のお話。

     元々日本の神々、というのはきちんとした系譜などあるわけでもなく、自然信仰が発展しながら神道の流れに無理やり組み込まれたものが多いと思われる。

     なので、有名な神社などよりもむしろこうした村だけでひっそりと祀られているような神、「山の神」などはいろいろな方々がいらっしゃるのだろう。

     福岡市にも、住宅街のど真ん中にあった小山にまさに「山の神」という神社があった。

     神社、といっても鳥居はあるもののその先には祠一つなく、綺麗な石が一つ鎮座してるだけであった。

     ある日気づいたら山ごと消滅してマンションになってしまっていて驚いた。

     そんなところを家にしてしまって、本当に大丈夫なのだろうか。

     余談はともかく。

     神ネタとしては予想もつかない意外なオチに驚かされる。と言ってもうすうすそんなところかな、という気はしていたけれど。ただ、そうなってしまった理由には心底驚いた。日本の神もギリシャ神並に世俗的なところがあったようだ。

     「不純な動機」はまるで落語の野ざらし。

     ただ、この主人公の心理がなかなかなものだ。とは言え、まだ思春期となると何だか判る気もする。

     男というのはこれほど馬鹿な(エロい)生き物なのだ、ということだろう。

     「そばにいるよ」のようなペットネタ、もう読み飽きているよ、と思わせておいての見事なオチ。生い立ちから始まって、見事にど真ん中と言えるような感動エピソードの連続だっただけにその落差は大きい。

     「遠い記憶」ではいわゆるパワースポットに纏わる話。個人的にはパワースポットなどという呼び方も捉え方も何とも好きになれないのだけれど、この話はそうしたものの怪しさとある種の正しさを証明してくれるようなもの。

     願いが実現されるのに15年かかる、というのも初めて聞く。どこでもそうなのかは不明ながら、参考にはなる。

     「予約済」は平山怪談的な実におぞましい話。しかしその実態が何なのか全く判らないのは、気味の悪さを増幅してはいるのだけれど、何とも残念でもどかしいところであるのも確か。

     鄙びた宿、寂れた無人の村、忌まわしいものが溢れた家、と道具立ては見事に揃っている。

     しかも「あかんぼう」というのは唐突でますますもって関連性が想像できない。

     「泥童」怪しい遺留品が案山子代わりになる、というのは実に斬新だった。

     倉庫奥深くにしまわれたらそのまま出て来なくなる、という霊の慎ましさにもちょっと好感が持てた。

     「井戸神様」で神、と呼ばれているものはどうやらほぼ貞子。

     不気味な話ではあるし、目新しい。

     でも、どちらかと言うと、初めて来た家でいきなりひどいいたずらを始めてしまうなど子供のしつけはなっていない様子だし、こんなことがあっても一年以上離婚せず、その後急にかなりひどい復讐を行おうとするなど、この語り手、流石二度離婚しているだけあって、相当に酷い人間なのだろうな、とそちらの方が気になってしまったりもする。

     「潮騒の母」のように、この程度の現象しか起こせない大人しい母であれば、確かに復讐したり祟ったり、ということなど及びもつかなそうだ。

     この話も井戸神様同様どちらかというと奥さんの方が恐ろしい。

     「赤い屋根の家」は幻想小説のような展開。

     この家の住人は既にこの世のものではない、ということなのだろうか。

     ただ、だとすると遺体はきちんと葬られているのか、この家の権利などどうなっているのかなど下世話なことがいろいろと気になってしまう。

     興味深い話ではあるけれど。

     「自己責任」のような呪われた家、というのは最早珍しくもない、と言っても良い位に報告例はある。

     しかし、この物件のように事情を知っている人間がわざわざ引っ越してきて、しかも見事に不幸に見舞われてしまう、というとんでもないという話は聞いたことが無い。

     しかし聞いたことが無いから他にはない、とは限らない。

     世間で言われる「心霊スポット」にはこんなところも紛れ込んでいるのかもしれない。

     やはり興味本位に足を踏み入れてはいけないのかもしれない。

     でも何だか惹かれてしまうのも間違いないのだけれど。

     「あの子の部屋」も不動産話。

     転居して間もなく亡くなってしまう、というのは相当に強烈な輩だ。

     実際に登場している心霊現象は写真一枚だけなのでたいしたことはないのだけれど、この裏に秘められていそうな事実はかなり深刻なものがありそう。

     一端すら掴めないのがここでも残念至極。

     「見ぃつけた」で語られている「古墳」というのがいわゆる古墳時代のものであるなら、ちょっとこの話にはおかしなところがある。

     まず、通常の古墳であれば葬られているのは一人(語句までに夫婦)の筈。古墳群、というのならちょっと違うけれど、そう書かれてはいない。

     まあ、厳密な古墳、というわけではなくて、古い墓、ということなのかもしれない。

     ただ、いずれにせよ、子供たちが遊び場に出来るような土地、であれば歴史的に見れば相当な数の人が足を踏み入れた、と考えるのが自然。

     本物の古墳ですら、盗掘されているものが大半だし一時はいろいろ他に使われてしまっていたものも多い。

     今更そこで遊んでいただけで憑いてしまう、というのはどうにも納得できない。

     しかも最後のエピソードなど、ホラー小説王道のような展開。何だか胡散臭い。

     現象だけを取り上げるとさほど強烈ではなかったりありがちなネタだったりというものが結構ある。

    でも、そこに収まらない不気味さやおぞましさが加味されることで独自の味わいを生み出し、存分に楽しませてくれる。

     満足のいく一品であった。

    元投稿:2017年1月頃?

    恐怖箱厭魂posted with ヨメレバつくね乱蔵/加藤一(怪談作家) 竹書房 2016年01月 楽天ブックスで見るAmazonで見るKindleで見るhontoで見る