• 黒木あるじ/全国怪談オトリヨセ 恐怖大物産展

     前の「怪社奇譚 二十五時の社員」でも書いたように、これも黒木あるじ氏の旧作。
     こちらも2015年刊行のようだ。
     このシリーズ自体2作目で、前回と同じく一県一作ずつ全47編による一冊。
     各県ならではの怪談にするため、土地に纏わるものが多くなっている一方で場所を選ばないような怪談は選ばれなくなっており、その分縛りがきつい。
     そういったある種偏った怪談の傾向は、個人的な嗜好性とは明らかに異なっているため、あまり高く評価することは出来ない。

     「うたごえふる」歌声が空から降ってくる、というのは不思議だ。
     確かに歌の特徴を読む限りでは、聖歌のようにも感じられる。
     とは言え、「泣くマリア」とは、奇蹟の性質も内容もまるっきり違うので、結びつけて考えるのはちょっと強引な気もする。
     だからといって、何か他に説明出来るようなものも思い当たらないのも確か、ではあるけれど。

     「消失」心霊スポットを撮影したビデオテープが、誰もいない筈の場所から忽然と消え失せてしまった。
     まあ、これ自体はそう珍しいとは言えない事例だ。TV界にはそうしたお蔵入りネタが沢山ある、という話も聞いたことがあるし。
     しかし、撮影に行ったスタッフ全員が死亡、というのは穏やかではない。
     ここまで読んで、ゾッとした。
     まあ、映像関係の方々、というのはもっぱら不健康・不摂生な人々ではあるし、早世されても不思議はないけれど、15年の間に皆逝ってしまう、というのはなかなかありそうで無さそうな、凄いことのような微妙なような、判断つきかねる事象であることは間違いない。

     「島にて」登場する連中の姿やその際の語り手たちの行動などが、著者には珍しくリアルで、まるで平山怪談のよう。
     何か意識したのか、語り手の表現自体によるものなのか。
     その生々しさが妙に印象的だった。
     また、語り手の女性の大胆さが小気味良い。若い時の行動も、それをあけすけに語ってしまう現在も。

     「濡れたセーター」一族の女性だけに伝わる風習、というか合図。
     これは、離れたところに暮らす親戚にのみ起こる現象なのだろうか。そこにその人の服を置いていた時のみに。
     よく考えると、何故そんなことが起きるのか、どうして女性だけにそれが受け継がれていくのか、どの範囲までそれが適用されるのか(母子・姉妹間は実証済)など、明かされていない謎は多い。

     「昭和のUFO」これは本編ではなく、著者が付けている解説の中で、細野晴臣が丹沢にUFOを観測しに行った、という話が興味深かった。そんなことをするような人にも感じていなかったので。
     また、内容に不審な点がある。
     後半、語り手に奥さんから電話が掛かってくる、
     それに促されてオフィスのTVを付けた、とあるけれど、普通そんな近くにTVがあるのか、そんな風に勝手にいきなり付けて良いものなのか、という辺りも疑問ではあるけれど、それは無い、と言い切れるものではない。
     しかし、語り手がTVを付けてから、その中でタレントが見たUFOらしきものについて語っている。
     とすると、奥さんは一体何を見聞きして語り手に電話を掛けてきたのだろうか。
     今なら、CF前にほぼネタバレになるようなことを予告しておいて、同じ内容を二度三度繰り返す、という時間稼ぎ見え見えの手法がまかり通っているけれど、この頃にはそんなものはないだろう、というかワイドショーとするとおそらくは生の筈。
     話が始まる前に、「丹沢でUFOを目撃」といったような予告が出されたのだろうか。

     「飛騨の怪談の怪談」これはなかなか奇妙な体験だ。
     11時から怪談小説を読み始め、一冊読み終えてしまったのに、その時点の時刻が11時1分。
     読み始める時間は毎日のルーティンになっているようだし、仕事帰りに本を買い、家で夕食を取り風呂に入ってからの出来事。
     ちょっと位間違えても、速読でもない限り、本を一冊読み切る時間などあろうとは思えない。
     読み終えた時間は、その後を怯えながら過ごした、とあるので間違えようもない。おそらく何度も、いろいろな方法で確認したことだろう。
     本を読み終えた瞬間にタイムスリップしてしまったか、読んでいる間どこか別の時間軸、世界に移動してしまっていたのか。
     不思議極まりないし、理由やメカニズムが全く判らないだけに、結構空恐ろしい。
     また、次はもっととんでもない形で似たようなことが起きない、とも断言出来ないからだ。
     ただ、この話自体は岐阜県とは何も関係ない可能性の方が高そうだけれど。
     それ位岐阜県には何もなかったのか。

     「笑う恋人たち」誰もいないまま鍵が跳ね上がったりフェンスが揺れ動いて音を立てる、というのも凄いけれど、自分が掛けたばかりの鍵が目の前で外れて落ちる、というのはとんでもない。
     何かのマジックでもない限り、偶然や自然では絶対にあり得ないことだ。
     それで目が覚めたようだから何より、ではあった。

     「新居の顛末」やはり人が住んでこなかった土地にはそれなりの理由、原因がある、そのことを再認識させられる。
     まあ、はっきりした怪異が起こったわけでもないし、地元の人も何かあるところ、という認識もなかったようだから、これが本当に怪談なのかどうかは判らない。
     しかし、わざわざ購入して移り住んできた新居で、引越の翌日に夫婦揃って自殺してしまう、というのは尋常ではない。
     個人的には立派に怪談だ、と感じる。

     「手料理」ユーモア譚かと思いきや、何とも哀しいお話。
     人生の最後に郷土の想い出を味わって欲しい、という何者か(神?)の計らいだったのだろう。
     全く経験もなく、技倆があるわけでもないのに、本格的な料理を作ってしまえた、というのはこれも怪談と言えるだろう。怖くは無いけれど。

     こうして振り返ると、意外と気になった話が多かったようだ。
     流石黒木氏、といったところか。
     ただ、恐怖におののく、とか胃の腑が重くなる、といった、ぐっとくる作品が見当たらないのもまたいつものこと。
     ちょっと残念ではある。 

    全国怪談 オトリヨセ 恐怖大物産展(2)

    posted with ヨメレバ

    黒木 あるじ KADOKAWA 2015年09月24日頃

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