久田樹生/「超」怖い話 怪怨


 
 
 何だかいろいろとハードで、感想も溜まってしまった。
 まずはこちらから。

 「怨」という題名のわりに前半はかなり淡泊で物足りなかった。印象に残る話も全く無し。
 しかし、後半長目の話になってくると、やっと本領を発揮し始めた。

 「蒲の穂」では、一体何がどういうことなのか全く判らない。確かに怪異は起きているようだし、奇妙なものやことは相次いでいるけれど、それらがきちんと結びつくことも無く、どこか宙に浮いたままぼんやりとしている。
 恐くは無い。だが、厭な話であることは間違いない。
 指のささくれを少しずつ刺激されるような、鋭敏なものでは無いにしろ僅かずつ感じる不快な気分。
 ただ欲を言えば「紙」の謎だけでも解いて欲しかった気はする。現物があるわけだし。

 「奴隷」の母親に纏わるエピソードは、何だか官能小説のような話だ。
 作中で語り手が母の話に疑問を持っているように、こちらも俄には信じ難い。
 それ程いわゆるテンプレなものだからだ。
 しかも怪異自体は起きているドラマにはほとんど関係が無い。ただ嗚咽が聞こえる、というのと、母親が生まれなかった子供たちを引き連れてきたことぐらいだ。
 しかし、この話は母親と語り手との再会とその後の出来事などを中心として、何だかこちらに迫ってくる内容ではある。

 「両面」は何だか「藪の中」のような話だ。
 姑と嫁、どちらの話もそれだけを聞いていれば、語り手には全く非は無く相手がおかしい、ということになる。嘘偽りが無ければ。
 そして長い月日のやりとりの中に紛れ込んでくる幽かな異常。
 怪異としては取るに足らない、と言ってもよいレベルながら、日々の暮らしの中にそんなものがちょくちょく紛れ込んできたら、精神的にはかなり疲弊していくだろう。
 そういう意味ではこの家族が三人とも相当に消耗しつつあったのは確か。
 そのうちに、夫が2か所同時に現れてくるなど怪異レベルも上がってくる。
 ところがそれで畳み掛けてくる、というわけでも無くまた沈静化はしてしまったようだ。
 この執筆がきっかけで和解できたようなのは良かったものの、御祓いをしたら事態はむしろ悪化してしまう。
 久田怪談の真骨頂とも言える、実にもって厭な話だ。
 腑に落ちないのは、この話には何の前兆も無ければ由来も判らず、とにかく怪異の正体が全く不明なこと。
 これ程残念且つ悔しいことは無い。
 とは言え、ことの経緯、起きている事象を読む限り、何か答えを導き出せるようなヒントすらほとんど無いようにも思える。
 起きている当人たちにとっては何とも狐につままれたようで、どういうことなのか考えるにも至らなかったのも当然と言えそうだ。
 改めて、話というものは一面だけでは真実、真相からは遠いこともあるのだなあ、という感慨も持たされた内容ではあった。

 今回、基本どの話も怪異はとてもささやかで、それ自体が話の核には無いものばかり。 更に、怪異や変事が何故起きているのか、それを伺わせる片鱗すら無いような、どうにも手掛かりの無い話に終始した、という印象も強い。
 じわじわとおぞましい感情も滲み出ては来るものの、やはりぐっと来るようなインパクトには全く欠けていたと言わざるを得ない。
 物足りなさともっと真相に迫っていてくれれば、という残念な気持ちが一番残ってしまう本ではあった。
 
 

伊計 翼/怪談社 終の章


 
 
 相変わらず、何だかちょっと弱い。
 昔に比べれば、もう文章の稚拙さが引っかかって語りに入るのを邪魔される、ということも無くなり、また本編中では悪乗りをすることもほとんど無く、安心して読めるようにはなった。
 それでも、ネタがどうも淡泊なのは否めない。

 「露天風呂」のような宿に泊まってしまったら最悪だ。
 ただ、なんぼ何でも、墓石を風呂に使ったりするのか、しかも利用者から見えるような形のまま残しているのか、という点で大いに疑問は生じる。少なくとも 隠す位するのでは無いか。
 宿屋の全てが酷い、というのは従業員がどんどんと辞めてしまって質が低下しているからだろうか。廃業する直前の貴重な体験かもしれない。本当の話なら。

 「手」のように何かが入ってきた、という話はたまに聞くけれど、それが今でも動いている、というのは記憶に無い。
 動く、というアクションは通常の消化活動とは大分違うものなので、勘違いする、ということは無かろう。

 「あったかい」は話自体も「あったかい」もの。経験者が一人では無いところが貴重だ。

 「先頭」の車がそれぞれの前に登場してくる、というのは珍しい。
 ただ、そのために結局心霊スポットに入っていないし、「それ」は何をしたかったのだろうか。

 「おい」小さな女の子から鬼のような形相で睨まれる、ということ自体がある種怖い。
 しかも嫌な捨て台詞付きで。
 ネタ的にはあまり好きでは無い前世ものかもしれないけれど、その情景を思い浮かべると滑稽なようで不気味だ。

 「スズキアイコ」ただの偶然、と言えばそうなのかもしれない。
 とは言え、これも自分が体験したら怖いことこの上ないだろう。
 最終的に関係が無いと言えば無いわけだし。
 一体何を予告したかったのだろうか。
 ただ、これも疑問は残る。
 事故現場の看板に、被害者の氏名を載せることなどあるのだろうか。それはプライバシーに関わる上、全く不要な情報では。その人が身元不明、という場合位か。
 それだって、事故の目撃者捜しの看板に載せることでは無い気がする。

 「三人目」好きな世界の歪みもの。と言うか、それにしても奇妙な話ではある。
 タイムスリップものと捉えた方が良いのだろうか。
 ただ、お互いの話では状況が微妙に違っているし、タクシーに乗ってからもおかしいようだ。気のせいかもしれないけど。
 合理的な説明がつきそうに無い、ということではまさに怪談、なのだろう。

 「触れました」こちらも心霊現象とは全く違うタイプの話。
 しかも、これまで聴いたことが無いもの。
 これがいつでも出来る力なら、脳外科医など最適だろうに。
 その感触を想像すると何とも気持ちが悪いし、やられた方の対応も偶然と言うより因果関係が感じられそう。
 何が原因なのか、興味深いところではある。

 「おっぱい最高」本当にその通り。

 じゃなくて。
 目の前に女性が立っているからといっていきなり抱きしめてしまうのはとても危険な行為だと思う。裸、というわけでも無いのに。
 普通なら、何らかの理由で入ってきた生身の女性である確率の方が遙かに高く、痴漢行為もしくはセクハラで訴えられかねない。
 自戒せねば。

 「チャレンジ」は狂気系としても矛盾を感じる。
 相談されている内容からするに、不安神経症のようなタイプのものだと思われるので、それが突然そんな常軌を逸した行動をとるとは思い難い。
 しかも一番納得いかないのは、女性が室内でちょっと走った程度で、窓を突き破って外に飛び出せるか、ということ。
 ひびを入れること位がせいぜい、という気がするし、例えガラスを割ることが出来たとしても、その反動で体自体は手前に倒れてしまうのではないだろうか。
 ガラスを破壊しそれと共に外へ飛び出す、となると相当な力で激突する必要があると思う。
 あり得ない、とは言わないものの疑念は強い。

 「コミカルゴースト」~「コミカルバイバイ」は珍しい連作。
 まあ、一つの話に纏めてしまっても問題ない気はするものの、どう編集するかなど作者の自由だ。それで読み辛くなっているわけでは無いし。
 まるでアニメかラノベの世界のように普通にコミュニケーションの取れる少女の霊。
 ある種新鮮だ。怪談本でこんなキャラはほとんど登場してきたことが無いのでは。
 この話は、著者にとっても一番書き易いノリだったのではないだろうか。
 実に活き活きと描かれている。
 わざわざ遠方の赤の他人に現れてくる、という不思議さはあるものの、これまでもそうした理不尽な事例は数多くあるので、何か所以はあるのだろう。
 ここまで巻き起こした理由が犬のお墓の整備だった、というオチもさることながら、登場人物二人が別に恋に落ちるでもない、というところが実にリアルで良い。
 亡き妻の生まれ変わりを匂わせるエピソードといい、何だか出来過ぎ、という印象は強いけれど、空々しいとまではいかず、楽しめたから良しとしよう。

 「あとがき」で書かれているように、確かに怪談は「怖く」なくてはならない、というものではない。
 しかし、それは単純に恐くも無ければ他の感情も湧き起こさない、要は詰まらないものでも良い、ということには勿論ならない。
 「怪談」というジャンルを使って他の感情を呼び覚まそうとするなら、それはより巧妙にそしてしっかりと描き上げていくことが必要になるだろう。
 残念ながら、今のところ、彼の怪談からそれを感じることはほとんど無い。

 今回は話によって、仮名がアルファベットのみと、アルファベット+漢字とに分かれている。
 どういう基準なのだろう。是非アルファベットのみに統一して欲しいところだけれど。

 何故かは不明ながら、今回が最終章だという。
 しかし、その最後にいつも付いている謎の余計としか思えないエピソードの幕切れが、明らかに続編?を意識したとしか思えないような締め方。
 期待していないものをこのように引き摺られる、というのは何とも嫌な気分だけが残る。
 
 

我妻俊樹/奇々耳草紙 呪詛


 
 
 わずか半年でもう続編を出してきたことにまず吃驚。
 しかも、今回も奇妙奇天烈。
 新鮮で印象に残る話が山盛りだった。ちょっとでも気になる話を挙げていたらほとんど全部になってしまうので、特に後になる程相当に絞り込んでのチョイスとなっている。

 冒頭の「テレビを見ていた」からして何だこれは。
 葬儀場で働く自分の姿をテレビで見せられるなど、およそ経験したくない出来事だ。
 位置の説明などからすると、霊の視点から見た風景、ということなのだろうか。

 続いての「花柄」もその光景を想像すると思わず笑えてしまう。
 しかし、相手の呟く一言はよく意味は判らないものの空恐ろしい。しかも語り手も同じ目に遭ってしまっているかも、というオチまで。本当に「みんないずれこうなってしまう」のだろうか。

 さらに連続で「抱っこ」。
 霊より何より相手が浮き上がってしまう、というとんでもない現象と、それを体験しながら本人が気付いていないというのが驚き。

 「死ぬ前」は、家族による予言、因縁話のようでいて妙にねじれた話になってしまっているのがやはり我妻怪談らしい。
 最後のエピソードと繋がっているとは言っても、兄が鏡を割る原因とは直接関係なさそうだし、第一それがあっても結局「さえぐさ」には出会ってしまっている。
 とは言え、DVに逢わずに済んだ、というのは、語り手が兄に感謝して良いところだろう。

 「半月」はとびきり奇妙。
 自分たちだけが感じた二度の地震、その原因が月が異常に接近したことなど、最早理解不能だ。
 しかし、一人なら寝恍けたのだろう、で済ませられなくは無いものの、ここでは夫婦(予備軍)二人が一緒に体験している。夢や勘違いではあり得ない話だ。
 それによって性欲が異常に昂進した、というのも気になるところ。それからしても夢では無さそうだ。

 「父の時計」では、それぞれのパーツがどうにも組み合わない。
 ただ、その噛み合わ無さまで含めて何とも不気味で印象に残る。
 稲川怪談に時折有るパターンとも言える。
 中でもやはり母親が何故どのように死んでしまったのか、その真相はもう永遠の闇の中とは判っていても、何とか知りたくなるところ。

 「銘菓のつぶやき」菓子を食べると声が聞こえてくる、というのも不思議。
 しかも別人でも再現性があるのに、聞こえてくる言葉は違う。
 奇怪な話が多いのに説得性が高いのは、このように客観性のある体験であることが多い、ということもあろう。

 「炎昼」仲間を引き寄せたり、物を持っていって罰が当たる、というような話は既知ながら、逆に物を持っていかせる怪異、というのは聞いたことがない。
 どんな理由によるのだろう。目茶穿ってみれば、持っていかせてそれを理由に罰を当てる、ということも考えられなくは無いものの、そのわりにはすぐ気付いて戻してしまうからそれもうまくいってはいない。彼以外からは読めそうに無い特異なネタだ。

 「柿の葉」もおよそ訳が判らない。
 お隣の人の鼻だけが落葉の裏にくっついている(ように思えた)のは一体何故なのだろう。ねじが消えてしまったのも不思議。とは言え、落葉の中では見つからない、ということもあり得そうではあるけれど。

 「山羊に見られて」この話も一人の体験では無いので、勘違いや精神の問題、というわけでは無い。
 しかもおよそ理解不能でなお且つ相当に不気味な話。いわゆる霊よりも怖い。
 駐車場の車に皆山羊が乗っている、という事態など、常識的にはあり得ない。
 たまたま山羊を見かけただけでその後こんな目に遭うとは。

 「赤い風船」の珍妙さは際立っている。
 語り手の記憶と、その時の「事実」とは大きく食い違っている。
 精神的なトラブル、と思えなくも無いものの、そうすると語られていることと事実との妙な符合や、何故か集まってきた子どもたち、という不可解な事象も気になってくる。
 これが一体何であるのかが全く判らない、という点も我妻怪談らしい。

 「足を落とす」は超常現象と言える話。
 しかしここでも語り手と奥さん、という二人の遭遇者がいて、物理的な証拠まである。疑いようが無い。
 空間を超えて繋がってしまうとしても、その先が自分の自宅としては偶然にしても出来過ぎの感がある。何かの意思が無理矢理に結び付けてしまったのだろうか。

 「おまわりさんだよ」については、語り手とおまわりさんの双方がおかしい、と考えることも出来る。
 ただ、そこまでいかれた警官が普通に勤務できているとは思えないのも確か。
 一番判らないのは二度目に遭遇した後の語り手の状況や心理。これも語り手の心に問題があるように思える要因ではある。

 「ペット霊園」もまた不思議な現象の連鎖、である。
 それぞれは凄いとか恐ろしい、というものでも無いのに、それが重なっていくにつれむしろ日常を離れ怪奇譚へと足を踏み入れていってしまう。何だか妙だとは思っても、それを確かめる術もなく、何か思い当たる原因もない。
 でも、こんな目に直面したら空恐ろしいこと限りない。
 不条理系の極地とも言える素晴らしい逸品。

 「おねがい」で問題になっているキャラクターは何なのだろう。
 ディズニーが版権に五月蝿い、というのは有名な話なので、やはりそこだろうか。
 ただ、法的手段に訴えられるよりもこうした仕打ちの方がダメージはでかい。
 これはやはりかの会社が魔術師、陰陽師的なものを使役している、ということなのか。それとも、キャラクター自身の怒りが直接ぶつけられてきたのか。

 「上陸者」は溺死者の霊というよくある話かと思いきや、突如半魚人の侵略へと話が転換しびっくり。
 老婆の「所詮は井の中の蛙の浅知恵だからな」という台詞に痺れた。一度言ってみたい。
 最後の段からすると、変身に失敗した魚は何故か畸形化してしまうのだろうか。

 「釜飯」は先の「ペット霊園」とも通ずるような、不条理譚。
 訪ねてくる人々は一体どうしてそうした行動をとってしまうのだろう。
 何かに操られているのか、それとも全く違う要因なのか。何しろ因果も原因も全く不明なので、その辺りを推測する手掛かりすら微塵も無い。
 余計に気になること限りない。

 「魚はない」は時代も古く、何だか民話のような、著者らしくない一品。黒木あるじなら自然か。
 ただ、彼が書いているせいか、重く奇妙な感じは強い。
 民話のようとは言っても何かに似ているとか聞き覚えがある、というものではなく、全く聴いたことの無いエピソードで興味深い。

 「歯医者へ」はまるで悪夢かカフカの小説のよう。
 語り手の精神の問題と片付けてしまうことが出来る気はするものの、この話から得られるイメージの特異さは、そうした疑念などどうでも良いものと思わせてくれる。
 不条理小説の卵を披露してもらったような気分がする。
 好きな話だ。

 「漫画を捨てる」も掉尾を飾るに相応しい力作。
 珍しく霊的な存在がしっかりと(但し生霊)出ては来るものの、本筋はそこにはない。
 何しろ捻れてしまった成り行きは、一体何がどうしてそうなったのかまるで判らないまま、というのは我妻怪談の定石通り。
 と言っても、この謎は、姉とこのホラー漫画との関わりが明かされれば解けそうな気はする。そんな時は来ないとも思うのだけれど。

 かなり絞ったとは言っても相当な数になってしまった。
 ボリュームの短いものが多く、拾録数自体多くなっているのも原因の一つだ。
 彼の書く話は、恐怖で怖い、というよりも、自分の持つ常識や日常感覚を脅かされ、平衡感覚を失っていくような、今ある現実を疑わざるを得ない、という不安を増幅していくような、厭な汗をかくタイプの怖さを感じる。
 個人的には一番好みであることは間違いない。
 今後も精一杯期待したい。

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