前書きで無駄に自らハードルを上げてしまっているような気がしてならない。
美しい怪談を目指す、怪談もアートだ、と豪語されている。
確かに文章で台無しになってしまっているような話は無いけれど、その代償として破調の作品も見受けられない。
こちらも既に怪談を読み過ぎてしまっているので、いわゆる「正統な」ものにはあまり感銘を受けなくなってしまっている、悲しいことに。
むしろどこか壊れてしまっているような話の中から彼岸の世界が裂け目を拡げ覗き見できるようにも感じてしまう。
元々マニエリスムのような少々「いって」しまったものが好きなのもあるし、尚更だ。
そういった意味では物足りなかった、というのが実情。ただ、気になる作品はそれなりにあった。
「竹藪の中の家」実のところ、この話の火の玉については何も判らず、謎ばかりが残る。
それでも、それが股を潜ると死ぬ、という言い伝えは実現してしまったわけで、なかなかに興味深い。
こういった伝承というのは現代ではほぼ死滅してしまった感がある。これらの怪異はどうなっているのだろう。妖怪などと同じく、皆が信じなくなると消えてしまうのだろうか。
「第一発見者」郵便局員だけを自殺に導く霊。何とも不思議だ。しかも死んだ人の車のエンジンを切るなど、よく判らない気遣いまでしてくれる。
ただ、この話、語り手が発見した相手が最初だったのか、それともその男自体がそこに呼ばれて死んだものなのか。
もっと探っていくと更に深い闇が見えてくるのかもしれない。出来ればどんどんと追究して欲しかったところ。
「アウトサイダー」これなどは次々と起きている怪異の繋がりが悪く、何とも収まりが付かない。その分、印象に残る話でもある。
「水路の魚」霊を殴った、という話は偶に聞く。しかし、霊に殴られた、というのは初なのでは。
それにしても弟は一度殴られた位で一生恨む、というのは大分業が深い。しかもまるで関係の無い僧侶や牧師まで憎むとは八つ当たりも良いところ。まさに坊主憎けりゃ、という奴だろうか。
「マリブルさん曰く、あまりにも怪談っぽくて、どこかで聞いた気がするが、やっぱりどこでも聞いたことがない話」この題名自体、怪談としては最長じゃないだろうか。
確かに、営業に訪れた家が何だかおかしくて‥‥、という話と、最初に入った時は普通の家だった筈なのに、再訪すると廃墟と化していた、という話のどちらもどこかで聞いたことがあるように思われる。
しかし、こうした組み合わせの怪異は記憶に無いし、印象は既存の話とはまるで異なっている。なかなかに面白い。
しかも、語り手だけでなく、上司と二人でまるごと体験している、というのも貴重。
「夏の涼風」死者に対してストーカーに及ぶ。およそ聞いたことが無い奇行だ。
しかも相手(霊)に対してダメージを与えている。ストーカーに悩む霊、という存在も唯一無二では。
世の中、およそ起きないことなど無いのだ、と思い知らされる。
「毒ノ華」表題作。
何人もの女性の命を奪ってしまう魔法円。凄い呪いのアイテムだ。しかも、全員が自殺、更にはそれぞれ別の手段を用いて行っている。やけにドラマティック。
割腹自殺の場面は特に強烈。
しかも、元の持ち主に限った呪いではなく、手放していた間は、新しい持ち主の周りにも死を撒き散らしてしまう。恐ろしい。
彼がなぜ魔法円を処分しようとしないのか、ちょっと疑問は残る。とは言え、思い入れが強過ぎて、というのも判るし、ある種取り憑かれたような状態である、という可能性も有り得るので、無下に否定することでもなさそう。
怪異に逢った人たちが、鬱になってしまったりやけに暗く終わることが多いのも特徴の一つ。著者のキャラクターがそういう傾向の持ち主を呼び寄せてしまうのだろうか。
書き手の思いが強過ぎると怪談というのはかえって面白さを減じてしまうのか。
考えさせられる本ではあった。
怪談標本箱 毒ノ華posted with ヨメレバ戸神 重明 竹書房 2020年10月29日頃 楽天ブックスで見る楽天koboで見るAmazonで見るKindleで見るhontoで見る