最近「忌み地」シリーズでも接する機会の多い怪談社。
そのベスト版ながら、半数以上が新作、そして旧作もエピソードが追加されているもの多数、という大盤振る舞い。
とは言え、今回著者としてクレジットされている伊計翼氏は、既に怪談社を離れている筈。
プラスの部分が誰がどのように加えていったのだろう。
何となく読んだ印象では、以前の怪談社よりもぐっと面白く、最近進化著しい伊計氏に拠るところが多いのではないか、という印象。
ともあれ、物理的に厚いこともあって、読み応え充分であった。
「電話中」語り手に対して電話で文句を言ってきた叔母は、この時点で既にこの世の存在では無かった、ということか。
家に鍵が掛かっていたり、これまでと違う様子からすると、叔母さんから電話が架かってきたのは、この時が初めてだったのだろうか。
だとしたら何故このタイミングで。
また、他の友人たちはどうだったのだろう。電話で説教されたのは語り手だけだったのか。
そして、この時点から、T也くんはずっと電話に出続けているのだろうか。
「応報」いじめを行った者が、身の破滅を招く。
これも気に入っている類の話である。
ここでも二人命を落とす。
しかし、その首謀者は死ぬよりも厳しい目に遭わされたのではないか、と思わせる悲惨な姿に。
しかも、その傍らに被害者の弟らしき人間が。
そちらは怪談では無い恐怖を感じさせる内容となっている。
「不明」本来全く別と思われた三つの怪談。
それがひとりの犯人、というところで繋がってしまう。
そして、後日譚が加筆されていることで、その推測がどんぴしゃであることが確認できた。
怪談社の怪談では、「忌み地」でも同じように繋がっていく話、というのがあったように思う。
そういうのが好みなのだろうか。
「おとうと」怪異は脇役で、家族の感動悲話。
かと思ったら、見事に裏切られた。
題名も見事なミスリーディング狙い。
この後は、弟も見えたりはしなかったのだろうか。
「殺したから」幻覚に囚われた話、と切り捨てようとしても、それを許さない物理的な怪異。
こういった常識から漏れ出てしまうようなじんわりくる怪談、悪くない。
「山の祠」「金持ち」どうやら行き難く気づき難くしてあるようにしか思えない祠。
お参りする人などもいそうにないのに、蝋燭に火は付いている。
この神もあまり宜しくはないのか、「金持ち」の方では、参拝して願い事をしただけで、死にそうな目に遭わされてしまっている。しかも一生残る後遺症まで。
「山の祠」の方は、何が違ったのかはまるで不明ながら、語り手が何かに取り憑かれるようにしてどこか別の神社にお参りし、何か水絡みの行動をとった後に正気に戻っている。
それ以外特に障りも無いようだ。
この理不尽さもまた神の仕業らしい、とは言えるかもしれない。
神というのは、猫のようなものなのかも。
「別の子」こうした時間軸がずれてしまったような体験、というのも時折聞く。
それでも何とも不思議だし、結構好みでもある。
姿から服装まで、全て同じ、というのは偶々、と言うにはあまりに一致し過ぎ。
しかも、一年前の騒動自体は、相手の母親含め皆知っている事件になっていたので、夢幻でも無い。
亡くなったこのお母さんの気持ちを想像すると、疑ってしまうのも無理はない。
一体どうしてこんなことが起きるのだろうか。
「ラブホのノート」これも偶然だとしたらむしろ出来過ぎ、と思えるような話。
しかも、二人が確かに目にした文章が消えてしまう、というれっきとした怪異も付いてくる。
誰がどういうメカニズムで行った警告かは判らないけれど、見事に効果を発揮した、ということか。
ただ、そういうものかもしれないけれど、シングルマザーとは言え、まだ幼い子どもを母親に預け御飯まで作らせておいて、自分は彼氏とラブホ行き、というのは、どうにも正しい行動には思えない。
そんな人の話、どうにも信用しきれないところはある。
「床下の井戸」この話も、怪談師も科学的に語っているように、怪談では無いかもしれない。
でも、床下に井戸があっただけでも不気味なのに、その底に大量の位牌が沈んでいた、というのは何ともおぞましい。
しかも、それを埋めてしまった翌日に家が火事で全焼とは、いかにも出来過ぎ。
誰が何の目的で行ったことかは不明ながら、そうしたものには、やはり何かしら負の力が生じてしまう、ということなのかも。
「真夜中の少女」見た目から怪しい人が夜中訪れてはやおら叫び出す電柱。
いつも同じ人などではなく、全く別の人が次々と、もう十人以上訪れているという。
近場ではなく東北など(この場所がどこかは不明)遠方から来てしまう人もいるようだ。
ここに一体何があるのか。どんな力が呼び寄せてしまうのか。
以前はそこに祠があったものの、それが取り壊されてから異変が始まったようだ。
何らかの関連性はありそうにも思えるけれど、そういった人々を寄せ付けないようにする神、などいそうにないし、その祭祀が無くなったからといって、それがこんな現象の起きる原動力になる、というのもぴんと来ない。
一体何がどうなっているのか、不条理すら感じてしまう一品。
「鳥居の道」街の噂では、鳥居の間を走った人が分裂して元に戻る、という話だったのに、語り手が目撃したのは、走っていた人間が消えてしまい、反対側からまた現れる、というもの。
しかも到着した友人は、まるで別人のよう。
とは言え、語り手は、友人が他人行儀に挨拶するのを不気味に感じて帰ってしまっただけで、本当に別人に変わってしまったのかは判らない。
悪戯だったのかもしれないし。
転校の日にしても、急にそんなことになってしまったら、ちょっとおかしくなっても不思議ではない。
更に、語り手はその夜から熱を出して寝込んだ、とあり、この話のどこか途中からは悪夢だった、ということも有り得る。
人の入れ替わり事例、しごく興味を惹かれるテーマながら、この話はどうも微妙だ。
「闇に浮かぶ眼」この話も、最後に話者がどうも正常では無さそう、という感じになってしまうので、信憑性は大分損ねられる。
しかし、話としては面白い。
人の良い父親が火事で焼け出されたものと思い、謎の親子を連れてきてしまう。
そして、それが火事の被害者ではないと気付く間もなく、得体の知れないメールを残して蒸発してしまう。
父親のたどたどしいメールによる状況報告、という手法も手伝って、興味深い内容に仕上げられている。
こいつらは何モノだったのだろうか。
感想の中で何回も書いていたように、自分の嗜好性と見事に合致したタイプの作品が数多く載っている。
以前の怪談社、伊計氏の作品にそんな印象を感じたことはない。
おそらくは、彼の最近の関心がそちらに向いている、ということなのだろう。
今後もとても期待できる。
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伊計 翼 竹書房 2021年10月29日頃