このシリーズとしては比較的最近、2016年の本。
以前よりは大分薄いのだけれど、活字の大きさや行間などを変えているためか、あまり短い、という印象は無かった。
むしろ、短編の良さが出ているのか、興味深い話が大量に。
例によって、後半次第に厳しめに評価してしまったかも。
「たらちね」一見家族愛を伝える温かい話、かと思わせておいての突如の急展開。
何ともとんでもないものを吸い続けてしまったものだ。
しかも、母は浮気の末いなくなってしまっただけで、死んだわけでもない。
この怪異、一体何が何のために起こしたものなのだろうか。
はっきりとした物理的な証拠は一つもなく、語り手の心が生み出してしまった幻想(幻覚)、という可能性はある。
「おいとま」自分でも理由が判らないまま、その日限りで職場を辞めたい、と願い出る女性。
息子の事件は偶然といえば偶然、なのだろうけれど、どうにも気になる。
そして、彼女の告げた「人を辞めてしまった」とは。
別に息子が殺人を犯したからといって、母親に直接的な被害が及ぶとは思えない。
でも、何だかとても心に刺さってしまうものでもある。
それが読み手の精神に揺さぶりを掛けてきて、とても怖い。
「臨死」話中で著者が分析しているように、臨死体験が国によって(民族によって)違っている、というのはこの問題をややこしくしている重要な要因ではある。
しかし、この体験者が生まれながらの全盲である、ということで、また新たな側面を見せる。
三途の川らしきものを見た、というのは、これまでにそのような話を聞いたことがあった(場合によっては何回も)可能性があるため、そこは健常者と変わらない。
問題は、そこで体験したお花畑と水面を、一度も見たことが無くとも綺麗に描き出すことが可能か、というところにある。
実を言うと、見えないまま紙にきちんとした絵を描けるものなのか、という疑問もあるのだけれど、それはまた違う話になってしまうので一旦措く。
ただ、一概に否定してしまうのは早計かも、と考えさせてくれる事例ではある。
「忠告」日本各地どこへでも、何年にもわたっていつも同じ格好で現れては、謎の忠告を残していくおばさん。
全く思い当たる節も無いというから、まるで役には立っていない。
この人は一体誰で、何の目的で来ていたのだろうか。
そして、ある時を境に来なくなってしまったのは何故だろう。
「いきさき」百物語でも意外と少ないショートショート怪談。
何が悪かったのか、御主人は地獄行きと相成ってしまったようだ。
わざわざ九官鳥を通じて伝えてくる位だから、余程きついのか。
偶々TVか何かで聞いて覚えてしまった、ということは無かったのだろうか。
「よりしろ」女人禁制の場所、というのは、有名な大峯山寺などまだ処々残っている。
そうした場所に入ったらどうなるのか、有名な場所となると人もいたりして実行は難しそうだけれど、これはその貴重な事例。
これが真実であれば、やはり相当に特別なところ、ということになりそうだ。
愛猫の死に様の凄まじさが、これが神に関わるものであろう事を想像させる。
ここでいわれた「さんだい」というのが、猫のみであったなら良いのだろうけれど。
その後がどうしても知りたくなる話ではある。
また、本来一番禁忌となるべき女子大生自身(及びその周辺)には何も障りは無かったのだろうか。
そちらもとても気になる。
「震える客」近くのファミレスに避難して、震えながら時を潰すしか出来ないようなモノに遭ってしまうマンション。
何が起きているのだろう。
時折憑いてきてしまう方がいるようだから、それが関係していることだとは思われる。
もう住み続けられない(らしい)程のことであるのは確かなようだ。
直接体験する、というのではなくて、第三者の視点で怪談を観察している、というのは面白い。
「ほどく」地獄の亡者をも救うという地蔵菩薩。
そんな慈悲の心に満ちた仏さまが、傘をぶつけられ鼻が欠けた位で死ぬよりも辛くなってしまうような地獄を与えようとするものだろうか。
わざとやったわけですら無いのだし。
それにしても、僅か半年余りに起きた不幸の数とその悲惨さはとんでもない。
偶然だとしたら、その方が凄い気すらしてしまう。
もっとじっくりと描いてくれても良かったのに。ちょっと勿体ない。
家族、親族は勿論、親友から会社、近所の店までとなると本当に容赦がない。
著者との縁も解かれてしまったらしい語り手が今どうしているのか、これまた気になって仕方がない。
「うえのへや」不審死が相次ぐ部屋、というのは時折聞く。
しかし、一年以内に様々な理由からとは言え死亡が7人も続いた部屋、というのは前代未聞。
流石に酷過ぎる。
しかも、その件に何か関わっていそうな人間が明らかにされている、というのも興味深い。
やはり何か仕込まれている、と考えた方が良いのだろうか。
「かわらぬ家族」体験者が自ら語っているように、怪談では無い可能性があるし、後で述べるように疑問点もある。
しかし、この話を信用するならば、なかなかに不気味な内容ではある。
三世代という、そう多いとも言えそうにない構成なのに、全く同じ組み合わせの家族が、半年毎に入れ替わっていく。
しかも家族構成以外に共通点は無い。
不思議なことこの上ない。
ただ、何か訳ありなのも確かなようだ。それを家族も自覚しているらしい。
とすると、何らかの宗教的なものであるとか、意図的にそういった家族を送り込んでいる、という可能性は考えられないでもない。
また、必ず半年で姿を消す家族が十二組、ということは、これが始まって、実はまだ六年も経っていない。
実家自体がその頃に越してきた、ということなのかもしれないけれど、通常であれば、実家はずっとそのまま、という方が多い。
それにそうであればその旨書かれていても良さそうなもの。
だとすると、五、六年前から急にそんな異常が始まったのだろうか。
それは何故に。
そういう書きぶりでも無いのがまた怪しい。
「ある神主との会話」呪いの言葉が書かれた絵馬。
前日に置いていかれたものなのに、既に黒ずんでいる。
そして、それを処理したが為に(かどうかは不明ながら)、指を欠損せざるを得なくなってしまった禰宜。
どうも最近、神に関わる話には怖ろしいものが多くなってきている気がする。
これは神の祟りなどでは無いかもしれないけれど、どうにも凄まじい。
ただ、体験者が「神主という職業は無い」「自分は禰宜」と言うのは何だか妙だ。
禰宜、というのは神職の中での階級・役職なので、これだと、「会社員という職業は無い」「自分は課長」と語っているのと同じ。
そんなこと言うものだろうか。
神主ではなく神職と言え、というならまだ理解できるけれど。
TVに出て来る神職の方は結構「権禰宜」が多い。
この方々も、権禰宜、という職業だというのか。
「ゴンドラの獣」ビジュアル的にかなり「くる」一品。
一体何者なのかまるで不明ながら、そんな奴に宣言されたら怖ろしくて堪らないだろう。
でも、だからといって大事なカメラを捨ててしまったりするものだろうか。
勿論あり得ない、ということでも無いけれど、ちょっと疑問だ。
「呪いの本」この手のいわゆる都市伝説。好きだわあ。ただ、この話は悲しい気持ちにもなってしまうけれど。
本来は普通のコメディ小説である「The Imcomparable Atuk」。
これを映画化しよう、としたことで、5人もの著名なコメディアンが命を落とすことになる。
その最初の犠牲者が大好きなジョン・ベルーシであった、というのは何ともショックだ。
好きだ、などとは言っていられない。
不思議なのは、被害に遭うのは主演俳優候補とその友人のみ。
原作者や映画化権を持つ映画監督などには何も問題は無いらしい。
その辺りが都市伝説の伝説たる由縁。
ついでながら、この話を調べているうち、この基になった前の話「読破」に疑念が生じてしまった。
この中に小説のあらすじが載っており、「イヌイットがニューヨークで」とある。
しかし、ニューヨークに出て来るのは映画での翻案によるもので、実際にはトロントに向かう、らしい。
カナダの作家だそうだし、カナダ文化への風刺小説でもあるらしいから、まあ当然だろう。
そして、本当に読んでいるなら、そこは間違いようが無い筈。
果たして、この語り手、この本を読んだことはあるのだろうか。
「ころりさま」ぽっくり信仰の中でもここまで霊験あらたかなものはそうあるまい。
ただ、この「観音様」どうにも仏さまとは思えない。
赤子の首らしきものを持っている、というのは地獄絡みの天部や鬼子母神などにあり得るかもしれないけれど、不気味な笑顔が上下逆さまに付いている、というのはとても考えられない。
何か土俗的な信仰に基づくもの、しかもむしろ祟り神的な存在、と見た方が自然ではないだろうか。
「おもいで」明らかに不思議なポジションから撮影された語り手の子ども時代の写真。
亡き父が、仏壇の中から撮影してくれたのだろうか。
不思議なのは、その写真をどういう形で現像し、母が入手したのか、ということ。
それは是非知りたかった。
「おわりのことば」ストーカー体質の元彼が、この世のお別れを言いに息子に憑依した、筈がそのまま抜けられなくなってしまった、のか。
本当に悩ましくもありおぞましくもある。
この母がいつか厳しい決断を迫られてしまいそうで怖ろしい。
不思議な話から映像的に怖い話、都市伝説系まで幅広く、かつなかなかにユニーク。
類例の無い話が沢山あった。
どうもこの著者、このシリーズにネタもパワーも集中投下してしまっているのではないか。
このシリーズと同じ角川ホラー文庫の「怪の~」シリーズが同じ作者とはとても思えない。
ともあれ、面白い本を読ませてもらえるのは、何にせよ嬉しく有難い。
posted with ヨメレバ
黒木 あるじ KADOKAWA 2016年07月23日頃