最近ではむしろ珍しい、特にテーマの無い単著。
良くも悪くも癖が無く、何だかあまり印象に残らない。
特に力を入れた様子の長編作品程、その長さのわりに怪異が弱く、物足りない。
「一人暮らし」電気が通っていないのに、勝手に作動するエアコン。
今の時代誠に素晴らしい省エネ、と言いたいところだけれど、夏に暖房が入ってしまうようでは使い物にならない。
子どものおもちゃなどでは偶に聞くこともあるけれど、家電を動かす力を持った怪異、というのは新鮮だ。余程寒がりなのだろうか。
「今の嫁です」かなり長い話だし、内容的にも興味深い。
ただ、話がどんどん深まったり怖さを増していく、というわけでも無く、容姿も入れ替わったり戻ったりしてしまう。
その理由も全く明かされることはない。おそらく判らない、のだろうけれど。
義理の兄の話も、怪異なのかそうでないのかも不明。ただ忙しいだけ、もしくは何かの理由で語り手に会いたくないだけ、という可能性も捨て切れない。
赤い坊主頭のエピソードも恐怖には繋がっていない。
どうにも全てのピースが上手く嵌まっておらず、語り手・著者双方の突っ込み不足も相俟って、何とももどかしさばかりが残る話になってしまっている。
個人的には好みのネタでもあり、傑作になり得る素材とも思えたので、何とも残念。
「青い魚」稲川淳二が好みそうな、怖くないけれど沁みる怪談。
小さい青い魚、というところも、詩情を誘ってなかなかに美しい。
「曇りガラス」扉や襖・窓などが結界のような役割を果たし、霊がそこから中に入ってこられない、という話は聞く。
しかし、それを何年も掛けてじわじわと突破しようとしつつある、という事例など前例が無い。
どういう原理で障壁を乗り越えつつあるのだろうか。
やはり根性、か。
霊にも向上心、というのは必要なのかもしれない。
入ってきてしまったら、その後どうなるのだろう。そして、その姿はどんなものなのか。
是非画像を送ってもらったらよかったのに。その後の状況報告も含め。
「余り物」余り物をそのままにすると、余計な客が来てしまう。
ありそうだけれど、これまで聴いたことのない話。
そこに棲みついている物同士の対決、というのも驚かされる。
少年は語り手を助けてくれようとしたのだろうか。
最後に結末だけさらっと描かれている、弟夫婦に訪れた不幸の顛末の方が、もっと凄そうだったのに。これだけ別立てにしてでも語って欲しかった。
そして、当然ながらこの屋敷の由来、因縁についても。
何一つ語られないのは、あまりに勿体ない。
「土葬」これまたかなりの大作。
当初はむしろ疑義を呈するために取り上げようかと思っていた。
現代、土葬などありはしないだろうと。
ところが。
調べてみて驚いた。
今でも一部地域ながら、そしてかなり限定条件付とは言え、まだ土葬は残っていたのだ。
大都市圏などはやはりほぼ禁止されているようだけれど、意外にも多くの道府県ではまだ許されているらしい。
全くの認識不足であった。一時とは言え疑いを向けるなど、語り手に申し訳ない。
ただ、そのボリュームに比して、怪異の基本は夢の話だし、叔父の死も符合するような微妙にずれてしまっているような。夢に引っ張られて無理矢理繋げてしまっているようにも思える。
語り手と父、二人の夢が一致している、というのは相当に不思議ではある。
しかし、「人に仇為すもの」が、他所での埋葬を指導した人間では無く、地元に残っているものに仇を為す、というのもちょっと解せない。近場の人間から手を下してしまった、ということか。
しかし、最後のエピソード、真っ黒に塗りたくられ家名を削り取られた墓、というのは想像するだに不気味極まりない。直接怪異、というものでは無いけれど。
かように、どうも掘り下げ不足で真の怖さが明かされず、不完全燃焼になってしまっている話が多々あるように思えた。
また、擬音が多用されるわりに稚拙で、それによって結構興が殺がれてしまった。
怪談は、ネタは勿論のこと、やはり書き手によってその魅力が弥増すこともあれば失われてしまうこともある、ということを再認識させてくれる一冊、ではあった。
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内藤 駆 竹書房 2021年08月30日頃