松村進吉・丸山政也・鳴崎朝寝/エモ怖

 「エモい」という言葉は嫌いだ。
 エモーショナルという別に日本語として定着しているわけでも無い英語の一部を切り取ってそれを安易に形容詞化する、安直で薄っぺらい表現であるとしか感じられない。
 しかも似たような俗語表現に「キモい」だとか「えぐい」などといった言葉があり、どれもネガティブな表現ばかりだ。それと響きが繋がるようなものを突然逆と言っても良い意味で使うことには抵抗がある。
 まあ、この言葉の是非は内容には関係ないのだけれど。

 ただ、純粋に内容を吟味するにしても、この題材はあまり望ましいものとは思えない。
 情に訴えてくる怪談、というと良さそうにも思えるけれど、冒頭で断られている通り、要するにあまり怖くない怪談、ということになる。
 怪異よりもそれに関わる人の方にウェイトが置かれている話がほとんどなわけだ。
 言ってみれば、通常の怪談本、単著では掲載には及ばず、と落とされていたものも多いのでは無いだろうか。
 そのため、怪談本に期待する楽しみを味わえる作品はやはり限られてしまうし、読み手の情感に訴えるならそれを得意にする小説家や漫画家などが数多いるわけで、わざわざここで読ませてもらう必要があるのか、という疑問を感じてしまうのは確か。

 それでも気になる作品もそれなりにはあったので感想をば。

 「お星さま」これは語り手の大きな勘違い、という可能性も残されてはいる。昔のことを詳細鮮明に記憶している、という要素はあるけれど、それも相手の方がより記憶力が優れている、もしくは強烈に記憶に残っている出来事として捉えていたのかもしれない。
 それはともかく。今回のテーマに相応しい、怪異というより青春のときめきや甘酸っぱさを思い起こさせる作品には仕上がっている。

 「ひみつの部屋」特定の?猫だけが通り抜けられる秘密の部屋。これまでにない新しいタイプの異世界ものとして興味深い。
 無理とは判りつつも、取り壊した際に何か現れたのか是非知りたかったところ。

 「オレンジの扉」祖母と語り手だけに見えている扉。どういう存在なのか気になって仕方ない。
 この扉を開けると普通に出入りできるだけだったのだろうか。第一、外からは見えていなかったのか。まあ、きっとただでは済まなかったのだろう。
 今は見えなくなってしまったようだけれど、もしこの家がそのまま残っていたらまた見えるように、そしてそこに入って行くことが出来るようになるのだろうか。

 「彼女とピンク」自分の持ち物が無くなり知らない物がいつの間にか現れてくる。
 一度や二度なら何か紛れてしまって、ということもあり得ないではなさそうだけれど、どんどんと続いていく、というのはやはり妙だ。
 それが不思議に思わなくなってしまっていたのは何か取り憑かれたような状態だったのか。それにしても、これだけ沢山のものが出て来るためには相当のものが無くなっている筈。それすら疑問には思わなかったのだろうか。
 見つかった物については急に臭くなったのではなく、この瞬間まで臭いに気付かなかったのだろう。だから同僚から指摘されたりもしていたわけだ。
 この事件では原因も明らかでは無く、どんな存在によって何の目的で行われているのかさっぱり判らない。その不条理性が不気味だ。

 「くちなしと海」何とも奇妙な話。
 徒歩で数十キロは先まで連れていかれてしまい、しかも連れていってくれたお姉さんはそのまま海の上を歩いて消えてしまう。とても幻想的なイメージが強い。確かにエモーショナルであることは間違いない。怪異としてもなかなかなもの。
 だが、実は一番判らないのは遊びに呼んでおいて習い事に行ってしまう友人とそれと一緒に出かけてしまう(語り手を置いたままで)その母の対応だ。無理ならそこで帰すのが普通ではないか。何か裏があるのかもしれない。

 「食堂の女性」これも一見さり気ない怪談ながら、考えるととてもおかしな話だ。
 語り手が通っていた食堂で対応してくれた女性が実は霊だった、という怪異。ちゃんと水を運んでくれた、というのも実はちょっと興味深い。
 そこのオヤジが実は殺人犯だった、というのも結構強烈な体験だけれど、何より不思議なのはその女性、別に元店員だったわけでは全く無かった、ということ。
 殺された相手の店で別に恨んでいる風でも無く淡々と店を手伝っている、どういう経緯でそうなってしまったのか理解に苦しむ。
 もしや、店主の願望が殺人という異常事態を受けて幻として現れてしまったのではないか,とも考えたくなる。

 「さよなら、近藤」この本の中でも一番情感に訴える作品。怪異は具合が悪い、という程度で結局バッドエンドになるでもなくちょっと微妙だけれど。
 語り手の痛みを伴うむず痒いような感情がどんどんこちらにも流れ込んでくるようで、正直辛い程。実に共感できる。
 丁度最近、青春ドラマのワンシーンのような夢を見たばかりで、その時の心の浮き立つような同時に焦燥感に駆られるようなもやもやした気持ちが思い出され、余計に「エモかった」。

 最後の「びぶりお」も今回のような機会でなければ紹介されなかった話かもしれない。
 怪談というより読書の勧めになってしまっている感もあるけれど、同じ本好きとしては微笑ましくも思えてしまう佳品だ。

 このように面白い話は少なくなかった。
 ただ、冒頭にも書いたように、読後感が怪談本を読んだ時に期待するものとは大分違っているために何となくすっきりとしてくれない。
 作り手もそろそろかなり疲弊気味だと思うので、色々目先を変えていきたい、という気持ちが強いのだろう。
 別の本でも書いたように怪談本バブルがそろそろ限界なのかもしれない。
 竹書房には自制を是非検討して欲しい。

エモ怖posted with ヨメレバ松村 進吉/丸山 政也 竹書房 2020年11月27日頃 楽天ブックスで見る楽天koboで見るAmazonで見るKindleで見るhontoで見る