確かネットでいろいろと検索しているうち、偶々御茶の水に古民家カフェがあるのを発見。出掛けてみることにした。
御茶の水の大学街とは神田川の川向かいに当たり、ほとんど足を踏み入れたことがないエリアだった。
向かっているといきなり神田明神に出会して驚く。
この神社、主神では無いものの平将門を祀っていることで有名なところ。
かなり怪しいところはあるものの、我が家の言い伝えでは一族の先祖は俵(田原)藤太藤原秀郷、ということになっている。
この藤原秀郷、という人は平将門を滅ぼした張本人。
なので、お参りしても祟られるに決まっている。何しろあの大怨霊将門なのだから。
そんなわけで、これまで神田明神には近付かないようにしていた。この日も、鳥居と門前までは行ってしまったけれど、境内には入らないでおいた。
因みに、同じ理由から大手町の「首塚」にも訪れていない。この首、とは将門の首だからだ。
こちらの方は、何かのお導きか、大手町界隈にはたまに出没することはあるけれど、塚の入口にも行き着いたことがない。どこにあるか知らないし、全く意識して歩いているわけではないのだけれど。
それはともかく、神社を正面に見て左の方へ進むと、大通りから中に入った住宅街の一隅に、何故か突然小さな公園が現れる。
ここも何か故あって公園になっているような感じだ。神田明神とも地続きだし。
公園は元の河岸段丘の縁にあり、いきなり結構な高低差が生じている。
その公園の一番端に、いきなり二階建ての木造民家がある。
これが「カフェ井政」だ。
元々神田鎌倉町にあった建物が一度府中に移築され、それを再度この地に戻して建て直したものだそうなので、ここは仮の住まいのようなもの。何だか唐突感があるのも止むを得ない。
建物は1927(昭和2年)の建築ながら、元々は平屋だったものを戦後に増築し、今の姿になったらしい。ここへの再移築の際に、更に若干手が入れられているとか。
それでも千代田区の文化財に指定されている。
移築・増築されているとは言いながら、全体にちぐはぐな感じはなく、統一された印象でなかなかに美しい建物だ。玄関なども品の良い佇まい。
カフェは、残念ながら座敷に上がることは出来ず、玄関左にある土間が当てられている。
三和土程度の広さで2卓のみと広いとは言えない。
府中時代は普通の和室だったものを、土間と帳場へと復元したものだという。これが正しい原形だったのだろうか。
しかし、想像以上にこの空間が安らげる。
目の前が広いガラス戸で、そこから敷地内に植えられた数本の木を眺められる。それが丁度黄葉している途中で風情がある。漆器の蓋を利用したらしい可愛らしいお盆に載せられたコーヒーをのんびり飲みながら寛いでいると、じんわりと安らぎに包まれていき、いつまでもいたくなってしまう。
これは良いところだ。
また是非来たい。
営業時間が早いので、うちの外出となると、疲れてから、ではなく最初にここからスタートしなくてはならなそうなのがちょっと残念ながら。
そこから、御茶の水や神保町方面は時折訪れているので、あえてその逆方面に向かってみることにした。
そちらの方は全く行ったことが無い。
何やら大きな通りを渡ると(蔵前橋通りだったらしい)、清水坂、というのを登り始めた。
なお、この後、何度も大きな通りを渡ることになるけれど、基本地図を見てもいなかったので、一体それが何通りなのかも判らず、どこに向かっているかも全くピンと来てはいなかった。
坂下直ぐの所に日本酒とニュージーランドワインというなかなか良さ気な店を発見したりして、期待感が膨らむ。
もうちょっと登って脇道を入ると、妻恋神社、という小体な神社もある。
今はひっそりとしたところだけれど、稲荷神社の関東総司だそうなので、結構格の高いところのようだ。4世紀創建、という伝承もあるようだし。
坂を登った辺りでまた脇道に入る。
すると、大分奥まった住宅街のど真ん中に、ドイツパンの店があった。
「ベッケライ テューリンガーヴァルト」。
ドイツパン マイスターの店、という看板が出ている。
遠目に覗くとドイツの人らしき相当に恰幅の良いおじさんが厨房にいらした。
これは試すしかないか、と思いきって入店した。
既に夕方だったので、種類は限られている様子。
後に確認すると、やはりソーセージの入ったパンが人気のようで、それらは一つもなかった。
およそこれまで見たことの無いようなパンの姿と名称で、小型のものでも1個500円程度、カウンターの置くに飾られた大型のパン類は1,000円前後とちょっとお値段は張る。
ただ、ボリュームはありそうなので割高、ということでは無さそうだ。
2種類程小型のを買ってみると、それでもずっしりと重い。
この日も小麦は食べたばかりだったので、冷凍しておいて後日いただく。
そういった食べ方でも、かなり美味しかった。
是非また食べてみたい。出来れば更に違う種類を、特にソーセージ絡みの。
あまり日本語は得意では無さそうなおじさんがまた可愛いのも魅力的だった、
思わぬ掘り出し物に気分も浮き立つ。
しかも、ここでこの周辺の街歩き地図を入手でき、意外とこの一帯にいろいろな店があることを知り、あたりを探索してみることにした。
ドイツパンの店の脇にある小道を進むと、突き当たる辺りに雑貨店「王冠印雑貨店」があった。
ここは猫雑貨が中心なので、あまりに可愛らしい。欲しくて堪らない品なども幾つもあったけれど、何とか我慢した。
そこから先程の清水坂通りに戻ると、向かいにコンクリート打ちっ放しの洒落たビルがあり、奥にアートとアクセサリーを扱っている店「bollingen」が営業していた。アクセサリーも作家もので、全体にギャラリーでグループ展を行っているような見せ方になっている。
なかなか面白い作品などもあって楽しい。
その並びにはこれまたコンクリートタイプの建物に喫茶店が入っている。かなり賑っているようだ。
先程飲んでしまったばかりなので諦めたけれど、何だか落ち着けそうな雰囲気の良い店であった。「みじんこ」という店名もユニーク。
そこから更に坂の上を目指すと「三組坂上」という交差点にぶつかる。
三組坂というのは清水坂とは直角、交差点右側に伸びる坂だそうで、とするとこの辺りが台地の一番突端に当たる場所のようだ。
交差点の一角にはちょっとヨーロッパ風の佇まいを見せる可愛いかき氷のお店「サカノウエカフェ」がある。
ウェイトの記入ボードや導線を指示するポール、注意書きなどあって、これまた相当な人気店らしい。
この季節この時間では流石に入店客もいない様子ではあった。
もうすっかりと暗くなる中、更に探索を続ける。
二本程離れた通りにはイギリス菓子店「Lazy Daisy Bakery」があるとのことだったけれど、残念ながら既に売り切れだったようで閉店していた。
辺りに実に良い香りが漂っており、期待感と無念な思いが募る。
次回は是非。
何故か突然現れたJリーグミュージアムには一片の興味も抱けないのでそのままスルーし、苺と生クリームをチョコでコーティングした「いちごシャンデ」という菓子が名物らしい(食べたことは無し)クラシカルな感じの「オザワ洋菓子店」がある交差点(湯島二丁目)を左折する。
この名もなき通りには、ぽつぽつと気になるような飲食店が存在していたので、ずっとまっすぐ歩き続けた。
以前確か「途中下車の旅」で見た、自分でジェノベーゼソースを作りながら仕上がりを待つイタリアン「ピアンタモッチ」、東京では珍しい伊勢うどんの店「二代目甚八」、かの名店「石ばし」ののれん分けと覚しき店名ながらかなりリーズナブル価格の鰻屋「石橋亭」、ハンバーガーとラーメンが売り(&ランチ)のお洒落そうなビストロ「hide mode」等々、一度は試してみたいお店が目白押し。
また改めて来なくては。
そのうち、遠目に東京ドームシティの華やかな灯りが見えてきてようやく水道橋・春日に近付いていることが判明した。
それまでは一度本郷三丁目駅前にぶつかった以外、本当にどこに向かっているのか、まるで見当も付かなかったので。
後から知ったところでは、この道の一番どん詰まり、大きな通りに出る前の坂を「壱岐坂」というらしい。
何故かそのぶつかった大通りの方が壱岐坂通り、と名付けられているのだけれど。
東京ドームシティの中はクリスマスシーズンだからかイルミネーションがあちこちに飾られており、巨大なツリーもあって見事に美しい。
これもまた望外の余禄、ということで。
このエリア、基本は住宅街ながら、このように魅力的な店を多数擁している。
そのわりに、これまでTVで紹介されているのをほとんど観たことが無い。
こんなところにこのような洒落た街が生まれてきているなど、露程も知らなかった。
今回、偶々こちらに足を向ける、という「決断」が無ければ、今後知る機会も全く無かったかもしれない。
何とも勿体ない。明らかなPR不足ではないか。
まあ、これからあちこち伺ってみたいこちらとしては、当分はあまり注目されない方が有難い、とも言えなくはない。
しかし、こうした店も時節柄、ということもあるし、安泰、というわけでも無いだろう。
むしろ、経営が厳しくなって閉めてしまった、ということになる方が残念極まりない。
それに街の活気が増してくれば、更に店が集まってくることも期待できる。
ギャラリーやケーキ店、ベーカリーなどがもっと出てきても良さそうだ。
麻布十番など、本当に裏の方までこんな所にこんな店が、と思うような素敵な店が姿を現す。
そこまでは無理としても、何とかもう一賑わいが欲しいところだ。
もっとも、ものにはタイミングがある。
いずれ、この地域が注目されるのは間違いないだろう。
今のうちにまだまだ静かな佇まいを精一杯楽しんでおくべきかも。
今後の再訪がマストな地域の筆頭に挙げねばならない、そう認識出来た大発見の一日だった。