東京都美術館/特別展 ポンペイ

2022年1月14日~4月3日 開催

2022.2.2 拝観

 ポンペイの展示はこれまで1997年横浜美術館、2016年森アーツセンターギャラリーと行われており、どちらも訪れている。
 ただ、どちらも壁画にフォーカスした展示だったので、ほとんど壁画しか見られてはいなかった。
 それに対して流石東京国立博物館、今回これまでとはひと味違う展示でポンペイの、というかローマ文化の凄さを再認識させ、堪能させてくれた。

 会期はまだ始まったばかり、というのに、あるいはだからこそなのか、意外と賑っていた。
 とは言え、まだまだ混雑している、という程ではなく、ちょっと混雑しているところを後回しにすれば、概ねじっくりと鑑賞できた。

 展示の最初に一枚だけ壁画が展示されている。
 これは、絵画としてはややプリミティブで、構図にもまとまりがない。
 それが何故劈頭を飾っているかというと、この絵の中心に描かれている山が、噴火前のヴェスヴィオ山だからだ。
 これを見ると、元々の山は富士山よりもかなり急峻に尖った、岩石の路頭する山だったようだ。
 山腹にはかなり上の方まで葡萄畑が広がっている。

 現在のヴェスヴィオ山を写真で見ると会津磐梯山のような山容をしており、山体崩壊を起こしたことは明白だ。
 ただし、崩壊したのはこの時ではなく、ずっと後の17世紀、1631年のことらしい。

 まるで葡萄そのものを身にまとっているバッカス神の姿は何だか滑稽だし、下部には半分近くを使って大きな蛇が全身描かれているのがちょっと不気味。

 またその後に展示されていた、59年に起きた乱闘事件を描いたというフレスコ画「円形闘技場での乱闘」も興味深い。
 こちらは一層稚拙な作風ながら、いわゆる装飾としての「壁画」では無く、実際に起きた事件を記録したものなのだ。
 何故こんなものを壁に描いて残そうと思ったのか。この出来事の関係者だったのかもしれない。

 いずれにせよ、噴火によって一夜にして埋まってしまった悲劇の街、という何だかファンタジーのような現実離れした世界観から、生々しい現実を突きつけられたような思いがする。

 また、どうしても痛みの目立つフレスコ画に対し、モザイク画は、まるで制作されたばかりかと思わせるような鮮やかさを今でも保っている。
 しかも、モザイク片がまるでスーラの点描のように細かく構成されているので、描写力が半端ない。
 人物の表情やら衣服の陰翳やら、体躯の立体感やら。
 実に生き生きと描かれているし、動きまで感じさせる。
 近代の絵画だ、といって出されたらまるで疑わないだろう。
 「辻音楽師」など、もうブリューゲルの作品かと思ってしまいそうだ。

 しかし、この展覧会で一番驚かされたのは数々の工芸品。

 黒曜石を刳り抜いて作られたという碗。
 まるで捏ね上げた陶器のように滑らかで自然な仕上がりであった。
 表面にはエジプト風の模様が、石や珊瑚、金などを使った精緻な象嵌で表されている。
 実に手の込んだ作りで、現代では及ぶべくも無い凄さに見惚れてしまう。

 展示室中央に置かれたテーブルも見事。
 よくある装飾のように足先だけが獣になっているのではなく、足の筋肉までもが再現され、躍動感すら感じさせる猫足。サイズも等身大位ありそうだ。
 天板は細かいモザイクで白地にモノクロの抽象的な植物模様が描かれている。
 これも実に素晴らしい。
 但し、この組み合わせは後代に行われたものらしく、元々セットだったわけではないようだ。

 気になったのは、このテーブル自体1mの高さがある上に、更に展示台に載っているので、それなりに身長があっても、天板が見辛い。
 子供や小柄な女性などはまるで見えないのではないか。
 折角全周から観られる工夫までしてあるのに、何とも勿体ない。

 ガラスの器なども、その保存状態含めとんでもなく良い。
 最近作ったものだ、と言われても全く違和感を感じそうにない。
 勿論、今これだけの技術があるか、といういうとちょっと疑問もあるけれど。

 これまで、ポンペイと言えばとにかく壁画。精々加えて、燃え尽きて空洞になった遺体の跡、位しかイメージになかった。
 それが今回の展示では、当時の人々の暮らしぶりやその豊かさが実感できる形で提示されていた。

 ポンペイが埋もれてしまったのは紀元1世紀。
 日本ではまだ弥生中期だ。
 古さで言えばエジプトなど千年単位の違いがあるし、ギリシアや古代中国ももっと時代が遡る。
 しかし、それらはやはり今とは異質、時代の違いを感じさせ、別物、という印象がある。
 それに対して、ここで観たものには、現代に通ずるセンスのきらめきが随所に見られた。

 既に知っているテーマや美術館、作家だからといって、もう判っている、観たことがあるものばかりだろう、とは思ってはいけないようだ。

 美術の世界の奥深さにはやはり底知れぬものがあることを、改めて痛感させられた。