2020年10月10日~11月29日開催
2020.11.26拝観
結構遠いし、行くかどうかぎりぎりまで迷いに迷ったこの展示、やはり観ておくべきかと、結局終幕ぎりぎりに駆け込むこととなった。
流石に残すところあと4日程の展示となると、相当に地味なこの企画でもそれなりに人が入っている。とは言え、ちらほらと見ている人が散在している程度、という上野ではあり得ないレベルではあったけれど。
今回の狙いは山梨県にある古長禅寺所蔵「夢窓疎石坐像」。勿論重文である。
これしか無かったので逡巡していた。
しかし、実際に拝見してみると、相模川流域、をテーマにしたおかげで普段はあまり訪問することも無い津久井地方や国分寺のあった辺りなど内陸部の仏さまにいくつも出会うことが出来た。
結構秘仏も多いようで、得難い機会だったと言えそうだ。
時代も奈良頃から鎌倉、南北朝までがほとんど。
ほぼ仏像だけを何十体も観られるのも久々でじっくりと楽しめた。
やはり畿内から離れているので、地方制作と覚しき鄙びた作風の仏像も多い。
こうした仏さまは時代推定がなかなかに難しい。大分中央の規範から外れたところが多いからだ。
変わっているのは平塚市神田寺(かんだじ)の十一面観音菩薩坐像。
室町時代作の小仏像ながら、頭がおかっぱのように流れており、その先に飛び出るように極小さな仏が11個並ぶ。天辺には結構大きな面が一つどんと載せられている。
まるでサンタ帽を被っているかのようにも見えてくる。
他では見たことが無いユニークな作りだ。
龍峰寺にある清水寺式千手観音菩薩立像や、宝生寺の善光寺式阿弥陀如来立像及び両脇侍像などの優品(どちらも重文)も、以前一度接してはいるもののどちらも十年以上前に特別展(展示は別々)で一回観ているだけなのでまるで記憶には無く、新鮮な気持ちで拝することが出来た。まあ何でも大抵そうなってしまうのだけれど。
肝心の夢窓疎石坐像は、お目当ての古長禅寺のものに加え鎌倉瑞泉寺所蔵の作品も並べられていた。
正直なところ、瑞泉寺像の方が格段に出来が良い。
顔の表情、衣紋の流れなど瑞泉寺像は極めて流麗に、そして生き生きと彫り出している。よく言われる「まるで生きているよう」という表現がぴたりと当て嵌まる仕上がりだ。
それに対し古長禅寺像の方も、しっかりと作られてはおり、決して疎かなものではない。
しかし、顔の表情は固く、カメラを向けられて緊張しているかのようだし、何より服の質感が全く違う。
重ねられた衣の風合いが何とも重く、木ですら無くまるで鉄の板を並べたように見えてしまう。
これは2点を並べてくれたおかげで気づけた差異であり、鑑賞する身としては貴重な機会を得られたけれど、古長禅寺像の作者(行成)にとっては気の毒なことであったとも言える。
それにしても、絵画含めさまざま描かれてきた夢窓国師の像を見る限り、この人とんでもない撫で肩だったようだ。
バッグやカメラなど、斜めがけしないととにかくずり落ちてしまって耐えられない我が身としてはとても共感を持てる一事であった。