2022年6月29日~9月26日 開催
2022.7.27拝観
ルートヴィヒ美術館展。
以前にも一度この美術館の名品展を観た記憶があった。
館名にもなっているルートヴィヒ氏によるポップ・アートの見事なコレクションを持っており、それを中心とした展示だったように覚えている。
記録を調べてみると、その展示は1995年7月頃。
もう27年も前のことだ。
自分にしては珍しく結構はっきりとした印象があったので、そんな前だったとはえらく意外に感じる。
場所は既に亡き東武美術館。
池袋の東武百貨店の中にありながら、国宝や重文も展示できる美術館だった。
そのため、日本美術の展示も様々に行われたし、西洋美術もテーマ別にエルミタージュ美術館展を何回も行ったりしていた、ユニークで大好きな美術館だった。
1993年の新婚旅行でイタリアに行き、その美術に対して衝撃を喰らい、戻ってから美術館にだんだんと行くようになっていた頃だった。
しかも、そういった経緯もあり、昔から京都や奈良に興味を持っていたこともあって、当初は日本や西洋の古典絵画を選んで観ていた。
それが、確か会員にもなっていた東武美術館でルートヴィヒ美術館展が開催されると知り、まあ折角だから行ってみるか、ということになったのだろう。
ポップ・アートは勿論、現代美術をまとめて観たのは、この時が初めてだったように思う。
それで、とにかくまあ心底びっくりした。
こんな表現が有り得るのか、と。
しかも、何だか笑ってしまうようなモノが次々と登場してくる。
ただのスープ缶を一面にずらりと並べた絵画、布で作られたしなしなのドラムス。
洗剤の梱包箱をわざわざ木で造り直すなど、何を考えて制作しているのか、全く判らなかった。
なんでこういうものがアートと呼ばれるのか。
理解不能。
だけど、何だか面白い。
リキテンシュタインを特に気に入ってしまい、その後ポスターを購入し、しばらく部屋に飾っていたりもした。
それから現代アートというものにも徐々に興味を持ち始め、鑑賞範囲を広げていく内に日本の現代アートに行き着いた。
そこから齋藤芽生さんの作品に巡り逢い、どうしようもなく惹かれて購入してしまったことが、まさかギャラリー経営、という結果を生み出すとは。
15年前のこの時点では、無論そんなこと、ほんの僅かでも想像すらする余地はなかった。
その位印象の強い展示だっただけに、同じものならまた観なくても良いかなあ、という気もしてはいた。
ただ、同じ美術館の名品展でも、大抵結構違う作品を持ってくることが多い、ということを経験上理解してもいる。
なので、今回もまあ訪れてみるか、と思い切った。
かなり長い会期のまだ前半、ということもあり、会場は空いていた。
この展覧会もこれ、という目玉が無いせいもあろう。
ポップ・アートも今はあまり人気ジャンル、というものでも無いようだし。
結果、想像以上に前回とは展示の主軸が異なっており、絵画・立体・写真合わせて150点程の内、再度観ることになった作品は20点も無かった。
今回の展示では、20世紀初頭から最新まで、ドイツ美術の流れを概観しながら、他の国々の作家たちの作品もそれに合わせて見せていく、という構成になっている。
なので、ポップ・アートについては、僅か一室、10点程に留まっていた。
そこも前回とは全く違う。
ドイツの近現代作品、総体としてはあまり好みではない。
色遣いが地味、もしくは暗いものが多く、モティーフの扱いなども、あまり洒脱な方向へは向かわないからだ。
観ていて、どうも気分が上がってこない。
それでも勿論マックス・エルンストのように比較的好きな作家はいるし、面白い作品は存在している。
そんなものも含め、気になった作品について感想を赴くままに。
マッケ「公園で読む男」本来なら好きな作風では無いのだけれど、一際輝いて見えた。
前回の展示でも拝見していたらしい。勿論全く覚えてはいない。
どのモティーフもかなりざっくりと描写されており、男の顔すら何も無い。
描かれている場所も木陰なので全体としては暗い。
しかし、その奥に見える空とベンチが同じ青で描かれ、地面や木の縁は鮮やかな黄色に塗られている。
木々の濃緑や茶とそういった青や黄のコントラストが鮮やかで、印象を強めているのだろう。
ロトチェンコ「空間構成5番」は、とにかくかっこいい。
都市のビルなどがモティーフとは思われるけれど、それよりも幾何学的な図形を組み合わせることで浮かび上がってくるフォルムが何とも小気味良い。
ドラン「サン=ポール=ド=ヴァンスの眺め」はかなりしっかりと描き込まれており、好感が持てる。
あまりまとまって作品を観る機会がなかったせいか、これまでドランという作家には全く注目してこなかった。確認すると既に50点程には接しているようだけれど。
今回、ちょっと見直した。
リチャード・エステスという、今回初めて出逢った作家の「食料品店」は、遠くからふと一瞥しただけでぎょっとするような存在感を放っていた。
いわゆる「写真のような」という表現がぴたりと嵌まるような、精細な表現。
通りに面する食料品店の店構えが、壁の質感や凹凸、ウィンドウ内に置かれた黒板の文字やガラスに映る情景までも正確に「再現」されている。
ただそれだけなのだけれど、迫力が凄い。
その店自体が、こちらにぐい、と詰め寄ってくるような威圧感を感じる。
珍しく説明を読み、この作品がスーパーリアリズムに分類されていると知り、腑に落ちた。
そう、現実のものを見た時とは異なる類の興奮や感情の昂ぶりを感じさせてくれる、これが写実ならぬスーパーリアリズムの面白さだ。
個人的には一番好きなタイプのアートに違いない。
上田薫に代表されるように。
この作品でも、単に現実の風景を写し取っているのではなく、「絵画ならではの嘘」を随所に盛り込んでいるらしい。
それが絵画の醍醐味でもある。
いや、良いものを見られた。
これを観られただけでも、来た甲斐はあった。
リキテンシュタインの「タッカ・タッカ」も、再見ながらやはり魅入られてしまった。
彼の肉筆画などどうやっても手に入れることは出来ないだろうけれど、版画でも死ぬまでには一点位何とか家に迎え入れたいものだ。
今はそんな可能性さえ見えない、けれど。
フォンターナの「空間概念、期待」も、最初に知った頃は、その破天荒さに笑えてしまって、半ば冗談気味にいける、と評価していた。
しかし、今では心底惹かれる。
ややくすんだターコイズ・ブルーもしくはエメラルド・グリーンという、この絶妙な色の見事さ。まあ、めちゃ好みの色だ、というせいもあるかもしれないけど。
切り裂かれた隙間の向こうは黒く塗り潰されている。
そこから何かが見えてきそうで覗いてみたくなるし、一方で何やら得体の知れないモノが這い出してきそうな不気味さも感じさせる。
いつまででも観飽きそうに無い。
アルバース「正方形へのオマージュ:緑の香」などもそうだ。
昔なら、ただ四角く色を塗りつぶすだけなら誰にも出来るのでは、などと思ってしまっていただろう。
とんでもない。
この三重の正方形の配置、その色遣い。
いずれも、そうでなければならない、というまさにその位置にぴたりと置かれ、微妙な色の変化が鮮やかな対比を見せている。
凄い代物だし、自分はおろかほとんどの人にはどうやったって創れるもんじゃあない。
ブリンキー・パレルモという初見作家の「四方位Ⅰ」は、小品の連作ながらなかなか印象深い。
縦長長方形の作品が四枚並んでいる。
アルミの地だということだけれど、完全に塗り込まれているので、それが見えることは無い。
作品の上下両端に同色の細い横線が引かれる。二枚ずつ組になっており、それぞれの地の色と線の色が入れ替えられている。
その色彩やバランスが絶妙。
デザイン的な面もあり、ちょっと何かのアイコンのようにも思える。
現代でも全く古びて見えない。
こんな作家が、この作品を制作した翌年、33歳で急逝してしまった、というのは何とも残念だ。
写真作品では、ロトチェンコ「電線」は何と言っても大好きな鉄塔がモティーフだし、直線を活かした構図の中に直角の折れ曲りまで盛り込まれていて素晴らしい。思わず欲しくなってしまう。
このロトチェンコという人は、絵画(今回展示は無い)に写真、立体と幅広く活動した人らしい。少なくとも写真と立体の双方共に印象的で目に留まった。
さらに、トーマス・ルフ「h.t.b.03」やヴェルナー・マンツの「”プレッサ”展におけるケルン新聞のパヴィリオン」などの被写体になっている建物にも惹かれる。
前者は何と言ってもミース・ファン・デル・ローエの建築だし、後者はいかにもアールデコ、というシャープながら色気も備えた佇まいが見事。
イベントのパヴィリオン、ということは現存してはいないのだろうか。だとしたら残念極まりない。
今回一番惹かれたのは、コンラート・クラーフェクの「兵士の花嫁たち」。
全く知らない、観たこともない作家さんだけれど、何とも素晴らしい。
夕景のようなグラデーションの色味だけが描かれた無背景の地に、独特な形のミシンが幾つか点在している。
それは、何か何も無いところに浮かび上がっているようにも見え、まるで艦隊か動物の群れであるかのようだ。
かなり細身のデザインは、スタイリッシュで、ロシア・アバンギャルドの客船ポスターを思わせる。
かなり違うのは承知の上で、何となくタイガー立石を思い出してしまった。クラーフェクの方がより洗練されている、という印象はあるけれど。
全体的に見ると、やはりポップ・アートが一番ワクワクする。
色遣いが派手で洒落ているし、とにかく楽しい作品が多い。
それを、改めて確認できた。
今回、クラーフェクやエステスなど注目すべき作家を新たに知ることが出来たし、知っている、と思っていた作家にからも、今まで感じたことがない新鮮な気づきを得られた。
まだまだアートの世界も底知れず奥が深い。