2021年1月5日~2月25日開催
2021.2.18拝観
メディアやネットでは何回か目にする機会もあり、その特異な画風からとても気になっていた作家、田中一村。
しかし、画壇本流からは拒絶された経歴もあって、残念ながらこれまで一作品も観ることが出来ていなかった。
由縁のある作家さん、青木恵美子さんの入賞歴の中に田中一村記念美術館主催のものがあり、話を伺ったことがあるのも一層気にさせる要因の一つであった。
そんな田中一村の作品を千葉市美術館が積極的に収集しており、収蔵品、寄託品を合わせると100点を超えている、というのも全く与り知らぬところであった。
今回、その収蔵・寄託品を全てまとめて展示してくる、ということで再び千葉へと赴いた。
やはり話題になりつつある作家のせいか、会期末ということもあり、平日にも関わらずそれなりの人が訪れていた。
そのわりに鑑賞スピードがやたら速い人が多く、自分のペースでは作品はほぼ観放題であった。
一村というと奄美時代のゴーギャンやルソーを思わせるような異国情緒のある画風、が連想される。
しかし、今回の展示では概ね千葉時代の作品。
幾つかある奄美時代も商品がほとんどで、これは一村らしい、と思える晩年の特異な作品は一点しか無かった。
とは言えこの作品は彼の代表作としてよく見かけるし、それはそれでとんでもないものだった。この作品については後述する。
千葉時代もほとんどが色紙サイズの商品で、大形のものは若い頃の屏風一点など数える程しかない。
日本画でありながら、何だか洋画の匂いを感じさせる、それが一番の特徴だった。
それが個性を引き立たせていると同時に、やはり日本画の世界から異端視されるのも判るような気もする。
空を青く塗っている日本画などあまり見たことがない。
また、シルエットになっている森の描写も墨の抜けるような透明感はあまり感じられない。色の描写にしてもそうだ。全体にべたっと塗りつぶされている、という印象になっている。
その一方で、線はとても力強く思い切りが良い。一気に引かれている、という清々しさを感じる。これはとても日本画らしい。
しかもこれ以上ない、という位細かい線を緻密に描き込んでいる。
この精緻な描写があるので、色紙サイズという小画面でも結構充実した満足感を得られる。次々と千葉の風景などを見渡していくのは実に楽しかった。
十二歳位からの作品があり、南画風を中心としたこの頃の作品は既に一級のもの。小さい頃から尋常では無かったことが判る。
ただ、この頃の作品はしばしば「描き過ぎて」いる。
漁舟も大概な人だけれど、その比ではない。おそらく時代がその傾向にあったことを差し引いても過剰な印象。空間を埋め尽くさねば我慢出来ない、というタイプのアウトサイダーアート一歩手前、という感じ。
これは23歳時の「椿図屏風」と速水御舟の「名樹散椿」を比較してみれば一目瞭然だ。
後には次第にその印象は薄れてはいくものの、どこかに感じる濃密感はそのあたりが源泉なのかもしれない。
展示の最後、奄美時代の大作「アダンの海辺」。
これは凄い。
この一点をじっくりと観られた、それだけでこの展覧会を訪れた意味は充分にあった。
画面の前景には強烈なアダンの立姿。
画像で見ていた際には、つるんとした印象やくどいような濃密な色彩は洋画を思わせるし、中でもアンリ・ルソーの画風を連想していた。
しかし、実物と対面し近付いてみると、実はまるで違う。
細部まで執拗なまでに実に緻密に描き込まれている。やはり日本画だし、それまでの一村の画風とは変わっていないのだ。
あくまでも対象が南国のものになったため、しかも日本画ではまず描かれることの無い画題であるが為に不思議な印象が強くなっただけのことなのである。
そして、波、砂浜、海中に現れている岩の描写を見て驚愕する。
もうとんでもない。
これまで何回か表現している緻密などという言葉では言い表しきれない、御舟の「京の舞妓」における畳の描写に勝るとも劣らない、凄まじい執念をも感じさせる素晴らしい出来映えだ。
そんなわけで、思っていた内容とは違ってはいたけれど、存分に堪能でき満足のいく展示ではあった。
出来れば奄美時代の作品をもっと観たいところではある。
それには現地を来訪するしかないのかも。