現代怪談 地獄めぐり 無間


五人の作家による競作。
個人的に面識もあるイタコ氏の作品をまとめて読めたりしたのは嬉しいところながら、本全体に特徴が無く、怪談としても小粒で弱いものがほとんどであった。

そうした中で印象に残ったものといえば、まずは「犬」。
現実に発生した犬の骨だらけの現場というのも壮絶だ。そんなところに建てたマンション、何事もなく無事なのだろうか。
関係者に起きていることは犬好きであれば何とも悲しい話であろう。ただ、ただ、関係者全員となると相当な人数だろうし、中には既に犬を飼っている人もいたのでは。そこではどうなっているのだろう。また、いつまでもこのままなのだろうか。

「トイレで待つ女」一人の体験者から聞いた段階ではちょっと良い話とも思えたものが、偶然手に入った別の話からまるで違うものへと変貌してしまう。なかなかに怖い。
交通事故の裏にはこうした事例も混じっているのかもしれない。最初の体験者には同乗者がいたおかげで、状況の客観的な様子を知ることが出来るのも貴重。

「憑かれて同じように」でも先の「トイレで待つ女」同様、憑かれた人とそれを見守っている人の双方から話を聞けているのが面白いところ。
霊のターゲットになってしまったことで、本人が全く意識することなく異常な行動を取ってしまっている、というところも共通している。
怪異に遭遇してしまうだけならともかく、これらのように行動を支配されてしまったり、除霊しようとするのを抑止されたり出来るような力を持つ存在に出会ってしまうと何とも怖ろしい。

決してありきたりだとかつまらない、というものでは無く、どうも強く残ってくるものが無かった、というのは残念なところ。
今回の著者が皆淡泊な作風であることも影響しているのかもしれない。

怪談四十九夜 埋骨


百物語では無く49話に限定されている、ということもあって、一話毎に比較的たっぷりと描かれている。
恐怖は長さには必ずしも比例はせず、というか実際のところ全く関係は無く、たった数行でもぞっとするような話はある。
しかし、元々物語、お話というものが好きなので、何にせよしっかりと描き込まれ拡がりのある内容になっている、というのは個人的には好ましい。
そうした中、人選の妙か怪談としても興味深いものが多かった。

冒頭の「犬が必要な家」は評価の難しいところ。
飼ってきた犬をまもなく調理して食べてしまい、しかも意識していないというのは怖い話だし、その情景を想像するだにおぞましい。
ただ、現実には何一つ怪異は起こってははおらず、二人が共に変な視線を感じたり、突然犬が必要だと思ったり、意識の無いまま食べてしまう、という雰囲気重視のもの。
単に二人揃って気が触れている、というオチも考え得る。
ただ、都市伝説系と考えてもかなり現実味のある特異な話であることは間違いない。
妙に後に残る話ではあった。

「入室条件」わりとよくある廃墟ネタの中でも、死ぬ人間だけが入ることが出来る、という物件など聞いたことがない。何とも珍しい。ただし、正確に言えば語り手の友人は死んではいないようだし、地元の人間が語っているように「不幸な目に遭う」方が正しいようだ。

「英才教育」も怪談と都市伝説より正確には人間の持つ恐怖が合わさったような話。父親が全く可哀想には思えない上、最後には吹き飛ばされてしまう。笑えてしまうと同時にちょっとすっとする。

「あの部屋」家の中に存在しない筈の部屋があり、そこに何度も入っていた、というのは、異界ものとしても珍しい。ほとんどは一度きりというものなので。窓の外も通常では無かったようなのだけれど、そこから見える景色自体は変では無かったのだろうか。

「餅のようなモノ」も題材は街中にあるタブーらしき祠、というもので、時折登場する。しかし、ここではお供えを食べた子供に異変が生じてしまったあげく、鉈のようなもの(バールのようなものと一緒か)で叩き殺されてしまう、という衝撃の結末。数ある怪談の中でも、何かに取り憑かれたらしき人が、一般の人間から惨殺される、などという話は現代ではおよそ聞かない。

「猫ドア」で物怪が素直な感じで愚痴を言うのが何とも面白い。珍しく人間らしい感情があるようで。目覚めたら布団の中に壊れた中年女性の首が目を光らせているなどという状況はとても面白いなどと言えるものでは無いけれど。

「一卵性母子」のようにドッペルゲンガーに抱きついた人、というのはまずいなかろう。 自宅内というだけでも珍しいのに。最後に相手がどうなったのか書いていないけれど、やはり消えてしまったのだろうか。これが夢幻で無い証拠に、洗濯物がとんでもないことになっていたというのは貴重だ。
そして出会っても何ともなかったというのも興味深い。

「父佛」での著者の勝手な想像は置いておくとして、乳を出す仏像に群がって吸いまくっているという光景は想像するにおぞましい。そんな奇祭と言うか奇習が日本にあるとは。

「違う廃墟」普通には存在しない家や店に行ってしまった、という事例はわりとあるけれど、廃墟のある場所にそれとは全く違う廃墟が存在していた、というのは実に奇妙だ。 しかも、そこにはどうやら怪しいところもあるようだ。一体何がどうなるとそんなことが起きるのか、不思議でならない。

「父の愛」については、面白かったのでは無く不審だったので取り上げた。
新婚の夫が海にある消波ブロックの隙間に挟まってしまった、とのことだけれど、そこで語り手に対して叫び声を上げている。とすると頭までは浸かってはいないと判断できる。 宿の近くの海岸ということなので、直ぐに助けは呼べそうだし、消防隊員が来るまでにもさほどの時間は要していないのでは。その間に死んでしまう、というのは全く不可能では無いにしろ、かなり難しいだろう。もう本当にぎりぎりの状態で挟まっていて、丁度潮が満ちてきた、という状況で無ければならないからだ。
せめて何も語っていなかったのであれば納得のしようもあるのだけれど。

「雨の日」親族が最後の別れとして現れる、という話は相当数聞いたことがあるし、最早その手の話のみ、ということであれば取り上げる怪談作家もいないのと思うのであまり接する機会は無くなりつつあるとは言え、世の中の知り合い同士の会話などで語られている数はもう無数と言って良い位ありそうだ。
しかし、ここでは確かに入院しており意識不明ではありながら、出会いが別れに結びつかない不思議な例だと言える。まあ、全く怖くは無いのだけれど。

「例外」寝ると必ず手形が付いてしまう部屋、というのはなかなかに凄い。誰でもということだし。起きてまもなく消えてしまうと言うのも奇妙なところ。起きる時間は常に同じ訳も無いから、起きる時間を想定してそこから逆算して跡を付ける、もしくは起きる瞬間に付けてしまうということなのだろうか。現実的には後者の方があり得る気はする。
これは一体どういう怪異なのであろう。理由・由来は全く無いのか。
そして、唯一左手の跡が付いた友人が程なく死亡してしまう、という事件も。時期的にも内容的にも因果は微妙なところではある。
でもこれによってただの不思議ではない怖ろしい話に感じられるものにはなっている。

題材としてはむしろありふれていると言っても良いものなのに、怪異としては目新しく感じる、もしくは得意な印象を受ける。
その分どうしても強烈なインパクトはないけれど、余韻の残る作品集ではあった。