吉澤有貴/呪胎怪談


 
 
 前作の「二人衆」では女性らしい、官能小説家らしい作品が多かったけれど、今回は基本「普通」の怪談ばかりだった、という印象。
 しかし一編毎に比較的じっくりと書き込んでいる分、読み応えはある。

 冒頭の「刺激ジャンキー」の彼が刺激にどんどんとのめり込んでいく、という気持ちが痛い程よく判る。
 よくある心霊スポットものながら、ここまで因果応報がはっきりしているものもあまり無いので面白い。

 「みんなで鍋を」実際に毒キノコにあたって倒れた人のレポート、というもの自体あまりお目に掛かれないので、これだけでも貴重だ。
 読んでいる途中で「おばさん」という記述が出てきて、あれこれ誰だっけ、と思ってちらと読み返したりもして判らんなと困っていたら、それがまさにオチとは。
 なかなかうまい話の運びだった。

 「荷台の客」で出会ったという鎌鼬は通常とは大分違う。ただ足をすっぱりと切裂くだけで無く、荷台に乗ってきたり話しかけまでしてきた、というのだから興味深い。

 「妻を見た男」は不思議な、そして何とも悲しいな話だ。相当に不条理でもある。
 いわゆる「怪異」とはあまりに異なっているのでどんな現象なのか判断が付かない。
 内容的に考えてドッペルゲンガーでも無いように思える。
 また、毎日聞こえていた笑い声、というのもまた判らない。
 この語り手の家だけで聞こえていたようだし、一体何だというのか。

 「細い男」っで襲ってくる蛇のような化け物、こいつは目新しい。
 いわゆる幽霊なんかより余程気持ち悪く怖い。絶対に出会いたくない代物だ。

 「コテージの怪」これはとんでもない現象だ。しかも先生も含め沢山の生徒たちが目撃している。そしてその意味ははっきりしない。語り手の解釈もあり得るとは思うけれど、何も裏付けは無く、単なる推測、でしか無いかもしれない。
 訳の判らない、でも話としては結構目新しくさまざまな出来事や異常(異臭など)が次々と発生していく、という内容は稲川怪談に近いものを感じる。

 幾つか斬新な、といっても良い新しいタイプの怪異に遭遇できたのは嬉しいところ。
 ただ、全体的にどうも怪異の原因や因果などが判らない、というものが多かったという印象がある。
 それも仕方のないところだとは思うものの、続いてくると何だか欲求不満が溜まってしまう。
 
 

怪談 ~傳馬町僧侶語り~ 三木大雲和尚


 
 
 さる7月23日、小伝馬町にある身延別院にて、怪談会に参加してきた。
 僧侶が語る怪談、というこれまでに無いもの。
 しかし、語るのは三木大雲和尚という方で、京都蓮久寺の御住職。
 関西テレビの「怪談グランプリ2014」で優勝した怪談界の実力者らしい。もっともその番組はこちらでやっていないので全く知らないけれど、レベルについても。

 元々は6月6日に蔵前の鳥越神社の祭りを観に行く際、まずはレントゲンヴェルケさんにて牧田愛さんの個展に寄っていこう、と何故か小伝馬町の辺りに降り立った、のが事の発端。
 この時偶然に伝馬町牢屋敷跡に出会し、大安楽寺や十思公園の時の鐘などを発見するうち、大安楽寺の一部だと思っていた風情のある建築が全く別物の身延別院であることに気付いた。
 お参りついでに門前の掲示板を拝見したところ、そこにこのイベントの案内が出されていたのだ。
 スケジュールが見えなかったこともあり一旦そのまま保留にしていたものの、直前になって参加することにしてメールにて申し込む。
 幸いまだ満席では無かったようで無事受領してもらえた。

 当日、すぐ近くにあるお付き合いのあるギャラリーに立ち寄った後、混雑を避けるため受付時間を少しやり過ごしてお寺へ。
 横丁に入りお隣の大安楽寺前を過ぎる辺りで周りを見ると、同じ目的地のような人がちらほらと。せいぜい10~20人位だと思っていたので、ちょっと驚き、少々不安になる。
 受付に到着すると、予定通り既に開始前から並んでいた人は手続を済ませてしまったようで、すぐに受け付けてもらえる。
 お代と引替えにプラスティックの小さな札を受け取った。
 定食屋や学食、フードコートなどで順番やメニュー確認のため預かるのと同じ奴だ。
 もらった時点では何のためのものか判らなかったのだけれど、建物に入ってみて理解出来た。

 すぐに会場に入るのではなく、本堂地下にある控え室のようなところに皆集められていたのだ。
 見回すと結構な人数だ。100人位はいたろうか。
 札は会場に入る際のブロック別整理券のようなものなのだろう。
 思ったより大人数なのに驚いた。
 楽勝と思っていたら思いの外人気のイベントだったようだ。ぎりぎりで受け入れてもらえて良かった。

 しかも控え室に入る際、ペットボトルのお茶までいただけてしまった。
 そういう時に限って到着する直前やたら喉が渇いてしまって珍しくジュースを買い込んでいたのが悔しいところ。

 それ程待つことも無く、いよいよ本堂に案内される。
 やはり札の色別に呼び出された。受付の混雑を避けた分、当然ながら後半の方である。
 本堂に上がってみると、御本尊が祀られている内陣に対して、参拝者、今回はイベント参加者の集う外陣は横に広く、奥行きはあまり無い。
 確かに、お寺の敷地自体、区画の大半を大安楽寺が占めてしまっているのでかなり限られていた。そこで大分奥行きを詰めてしまったようだ。

 そこに内陣から少し間を空け後方に椅子が並んでいた。
 既に七割方は埋まっている。
 大分横の方しか無さそうだな、と思って場所を探していると、案内の方から意外な言葉が。
 「畳に直接座る形で良ければ前にどうぞ」と。
 勿論喜んで座らせていただいた。
 トークスペースの目の前である。まさにかぶりつきだ。
 元々この手のイベントでは場所など関係ない、と思ってはいてもやはり臨場感が違う。
 それだけで何だか期待感が弥増してしまった。

 最初にこのお寺の副住職、要は御住職の息子さんからの挨拶があった。
 挨拶だけで無く、会の趣旨に合わせて怪談も披露してくれた。

 最初にも記したように、この場所は元々伝馬町牢屋敷。
 数多くの罪人が処刑されたり獄中死したりした場所である。かの平賀源内もその一人だ。
 当時は今のように科学的な捜査も証拠に基づく裁判も無い時代、無実の罪で投獄され命を失った人も少なくないだろう。
 本当の罪人だったとしても、否むしろそういった輩程恨みや未練も多かったかもしれない。
 そんな怨念や無念が三百年近くも積み重なってきた土地、何かあるとしたら一番の場所には違いない。

 この場に来た人たちはおそらく皆今場所の由来は知っている筈。なので、そのことに思いを致しただけで場の空気は一気にひんやりとした、ところで本日の主役、三木大雲和尚が登場する。

 三木和尚、京都の方なのでやはり語りが上手い。
 今回、東京に来てどこそこのホテルに泊まって、というような世間話を笑いを交えながら始めたので、落語の枕のようにしばらくはそういう話が続くのか、と思いきや、「実はホテルの部屋に御札って本当にある話なんですよ」というところからすっと怪談に入ってしまった。
 下手をすれば気付かない程自然な導入だった。

 具体的な怪談の内容には触れない、と言うか既にあまり覚えていないので書けない。
 それ程強烈に怖い話、というものは無かった。
 しかしつまらなかったりありきたり、と思うようなものも無く新鮮に楽しめた。
 僧侶という立場を活かして、というのも変だけれど、説法に近いような、こちらが何かを受け取れるような話しぶりも多いのだけれど、いわゆる説経臭さや強引な解釈なども無く、ごく自然に語られていくので心地良く入ってくる。

 これまで聴いてきた・読んできた怪談とは大分趣は異なるものの、むしろ求めていた新鮮さを感じさせてくれ、怪談の世界の拡がりをまた体感することが出来た。

 稲川淳二だって実のところはそんなに怖い、と思うような話は少ない。彼の場合も、まさに話芸と言うべき語り口と、小さなエピソードながら畳み掛けるように重なっていく怪異の連続技がこちらを惹き込んでしまうのだ。連続する怪異もどちらかと言うと何だかうまく繋がらずねじれたような印象の話が結構あって、それが謎を深め独特の味を強めている。
 流石にそこまではいかないにしても、やはり「怪談」はその名の通り語られるものであって、こうして生で聴くのが一番、と改めて感じる。
 そうした場所として、寺の本堂などこれ以上は無いシチュエーション。
 暑くなかったのも幸いだった。
 「稲川淳二の怪談ナイト」福岡会場はよく住吉神社能楽堂で開催される。
 ここも福岡市指定文化財になるような風情のある建物ながら、とにかく風通しが悪くて暑い。大抵9月下旬頃になるのだけれど、それでも毎回蒸し風呂のようだった。
 熱中症で倒れる人が出てもおかしくない位。
 それに比べれば、人数もほどほどなせいか快適そのものであった。
 水分補給もばっちり出来たし。

 帰り際には来場者全員と握手までしてくれた。
 大きく包み込まれるような御手であった。

 身延別院のサイトによると、何と151人も来ていたようだ。
 お値段も実にリーズナブル(2,500円)。しかも奥さんは中央区勤務だったため更に割り引かれて2,000円に。何とお得な。

 とっても満足し、夜道がまた気持ち良く歩ける晩になってくれた。

 帰り途、稲川淳二がよく都内で一番怖そうなところの一つとして紹介している浜町公園を通ったのだけれど、鈍い二人には全く何も感ずることも無かった。
 
 

渋川紀秀・葛西俊和・真白圭/怪談実話競作集 怨呪


 ほとんど知らない三人の著者。
 新鮮に感じられるか、力不足にがっかりするか。
 残念ながら今回は完全に後者であった。

 「銀のハイヒール」は犠牲者も出ていてかなりヘビーな話。
 かなり凄いものではあるものの、オチが怪談とは全く関係ないのにそちらの方が強烈なので、何だか後の印象がそちらしか残ってこない。
 何だか損な気がする。
 ただ、いくら少々時間が経っているとは言え、三人もの人間が死んでいたら、その経過も覚えていそうなものだ。しかも合わせて十数年だから忘れる程の昔とも言えそうに無い。

 「早く気づいてあげられたら」でも怪異そのものは何だかおまけのようになってしまって、現実の人間関係の方が話の主軸。しかも、いろいろと裏がありそうなタイプの人間から一度祝福の言葉をもらっただけでころっと信じ直してしまう、というのはあまりに単純過ぎるのでは。まあ、そんな人もいるのだろうか。そっちの方が気になってしまう。

 「運の糸」などというものが見えるのだとしたら興味深い。
 しかも人のものを取ることも出来るとは。とは言え、その代償としてなのかは分らんにしても、命を失ってしまっては元も子もない。

 「見返り」はこの本では一番面白く感じた。
 都市伝説的な事件かと思いきや完全な怪異。しかも特定の霊では無く、何故そんなことが伝染病のように派生していくのか。
 土地に何か原因があるのかもしれないけれど、手掛かりは全く無さそう。不条理な話だ。

 「黒い渦」は王道のネタ(格安物件)ではあるものの、怪異の描写が細かく、なかなかに迫力がある。しかも結構強烈。

 不満を含めても気になる話がこの程度しかなかった。
 後は何とも平凡だったり、だらだらと長いわりにそれに見合うレベルの怪異が出てこなかったり。怪異と言うより精神の問題、と思える話もあった。

 新人を登場させるにしても、それで固める、というのでは無く三人のうち一人位に留めておいた方が良かったのでは無いか。
 まあ、そうすると力量の差が歴然としてしまってかえってバランスが悪くなってしまうのかも。
 とにかく、何とも不完全燃焼に終わってしまったのは確か。