小田イ輔/実話コレクション 厭怪談


 
 記念すべきこのブログの感想第1作「呪の穴」から僅かに5か月、もう新作を発表するとは凄いスピードだ。
 今回も通常の怪談本に登場する話とは微妙にずれたような、球筋の見えない変化球のような変わった話が多数。「お化け三角」など、他ではまず読めることのない作品だろう。
 ただ、やはり立て続けとなるとある程度ネタ切れでもあるのか、前回程の奇妙な感じは受けなかった。

 「おつり」も妙な話だ。
 語り手の話が事実であれば、流石に偶然で片付けられる類のものではない。
 でもそれが何故なのかまるで判らないのも事実。
 オチの話に続きがあるのか、とても気になる。あまりあって良いこと、ではないのだけれど。

 「ベル」のように、自分では当然と思っていたことが世間的には普通では無いことであった、と知り愕然とするというのは皆何かしらあったりはする。
 でも、こうした経験は滅多なことでは無いし、それ自体何とも不思議だ。
 とりわけ印象深いのは、語り手の解釈。
 本当は皆経験していながら忘れてしまっている、というのはあくまでも語り手の根拠の無い推測でしか無い。
 しかし、今丁度店(ギャラリー)で展示している作家さんの解説を書く際に、錯視を例に挙げつつ、人の見えているもの、というのは実はそれぞれで異なっているのかもしれない、と考えたりしたものだ。
 今ここで認識している記憶、というものもまた儚い幻想、次の瞬間には綺麗に塗り替えられてしまって、変わった事実すら何の痕跡も残さず消えてしまっている、という可能性すらある。
 そう考えると、彼女の訴えを否定することもまた難しくなってしまう。

 「横切るもの」この例は面白い。
 道路を渡っている霊体、というのは数多あれど、それが渡る間に一生分の変化を遂げてしまう、という話など聞いたことも無いし、想像すら出来ない。
 作り話だとしたら突拍子も無さ過ぎる。
 しかもこれが実在してしまうと、心霊現象を何らかの科学的なものであると捉えたり、意識や思念などの実体化と考えたりする論理にも全くそぐわない。
 何なのだろう、これは一体。

 「在宅介護」も奇妙にして恐ろしく、何とも残酷な話。
 結構後に残ってしまう。
 これもまた「何故」という部分が想像すらつかないので理不尽なことこの上ない。
 
 「チュルッと」のような病院には、絶対に入院したくないものだ。特に年をとってからなど。
 こうしたものへの鈍さから、自分では絶対気付かないに違いない。

 「弟子入り志願」も変わった話だなあ。
 前世というものには否定的な気持ちしか無いけれど、なお充分な怪異譚であるとは言えるだろう。

 「自殺意思」で書かれているような思念のようなものがあってそれが赤の他人に影響を与えてしまったのだとしたら、何ともいい迷惑だ。
 こんなところにも絶対出会したくは無い。

 ここに挙げたいくつかの話、そして挙げなかった話も含め、怖さとは違う要素で、何だか惹かれ印象に残ってしまう。
 独自性の強い作家であることは間違いない。
 また、文章力がつけば、もっと面白くなってくるのかもしれない。
 素材としてはユニークで興味深いものなのだから。
 
 
 

伊計翼/怪談社 壬の章


 
 謎の小芝居も巻頭と巻末のみになり、いろいろな意味で普通の怪談本となってきたこの怪談社、今回は怪談そのものも並と言わざるを得ない。

 怪異が小粒でたいして怖くない上に、どこかで似た話を聞いたようなものも多く、新鮮味もない。

 「酔興」は怪談としてぎりぎりながら興味深い話ではある。
 占いと上司の事故、そこにほんとうに繋がりがあるのかどうか。
 でも、これだけ一致していれば怖く感じるのは無理もない。恐怖譚としては立派なものだ。
 ただし、別の日には易者が全くいなかった、というのはただの偶然、もしくは週末限定開業だった、何箇所かを廻っているなどの理由が考えられ、不思議と言う程のことではない。
 更に、何故最後に一家離散のくだりを付け加えたのか意図が分からない。
 それが特別凄いことでも重要な情報でもないし、稼ぎ手が急死したならあってもおかしくは無いだろう。

 「森」も怪談としてはよく聞く話、と大差は無い。フレッシュ感は0であった。
 むしろ最後の部分で「友人が何を怖がっていたのか判らない」と書いてあることに引っかかってしまい、マイナスの印象を持ってしまった。
 この話では語り手がはっきりと怪異を目撃しているわけで、その「もの」が友人の方に向かっていったことまで確認している。
 だったら、疑問に思うようなことでは無いだろう。
 著者の、こうした思わせぶりにしているようで結局内容として破綻してしまっているところが、こちらの気持ちを、す、と退かせてしまい面白く感じさせなくしてしまうところだ。
 好意的に解釈するなら、どちらも何か書くと問題がある、もしくは公表したくないような部分があり、そこと絡んでいる要素なのかもしれない。
 でも、だとしたらそこをカットした時点で上手く修正すべきポイントでもある。

 「怒らないで」では、死んだ人からのメッセージというようなものなら結構あるけれど、このようにこれから殺人が行なわれようとしているということが伝わってくる、というのは不思議だ。
 ただ、これも実のところ、首を絞める、という行為など二分もかからないものだし、書きぶりからは決意から行動までほとんど時間が経っていないように思える。
 息子が電車の中でメッセージを受け取り走って行くにはどんなに近くてもそれなりの時間がかかりそうだし、果たして間に合うものだろうか。
 予知して事前にメッセージが流されていなければ、どうも辻褄が合わない。

 「苦情」も実によくある話。
 オチにしてもむしろ予想通り、という感じで驚きは全く無い。
 ただ、ここでは老人の怪しさと筆談によるやりとりが妙に怖く感じられ、ちょっと面白かった。

 「えにし禄」はただの偶然とは思うけれど、なかなかに興味深い。
 特にK子さんの話などは驚くしかなかろう。
 とは言え、誰にでもこんなまさかと思うような偶然、一回や二回否それ以上経験しているものじゃないか。
 題名の禄、これもどうも腑に落ちない。この単語の意味と話の内容がマッチしていないのだ。
 まさか「録」の間違い、ということなのだろうか。

 「髪の毛」、よくインチキな話の代表格として挙げられる「一夜にして白髪に」というものを実際に体験した方からそう言われると説得力がある。それが冗談や嘘でないなら。
 しかし、これも後半著者によって加えられた、人間の方が怖い話によって印象が分散してしまったのがむしろ惜しい。
 これも余計な内容ではなかろうか。

 「ニコニコ」ここで怪異は何一つ起こってはいない。
 でも、これまた都市伝説として語り継がれている掛け軸の裏の御札を本当に、それも凄いレベルで発見してしまった、というのは得難いレポートであり、掲載する価値は充分にあろう。
 さらに、宿夫婦の笑顔で拒絶されたというくだりは怖面白い。

 「神」はなかなかの大作。
 しかも民俗的な要素からも興味深い。
 この怪異が一体どんなものなのか、調べてみるとこの伝染病というのはどうやら狂犬病らしい。
 狂犬病というのは発症すると致死率が90%を超える、というかごく奇跡的な例を除きほとんど死んでしまう、エボラよりも強烈に危険なウィルスなのだ。
 しかも水を恐れるという症状の出ることがあり「恐水症」と呼ばれることもあるらしい。
 ほぼビンゴ、だ。
 見ないもの、というのは「犬」そのものなのかもしれない。
 はっきりとは書かずとも、その気があれば探り出せるように仕掛けてあるのは嬉しいところ。いつも何だか判らんままのものが多くてフラストレーションが溜まってしまうので。
 土着神関連の話かと思いきや、歴史も浅くむしろ具体的な事件に纏わる因縁の話、ということになるのだろう。

 この本で何より気になるのは、語り手の表記。
 「K市」さん、「R代」さんといった形で書かれている。
 そのため、実際の名前を想像してしまいたくなって、気持ちがどうしてもそっちに逸れてしまう。
 怪談はどれだけその話にどっぷりと没入できるかどうかが面白さ、怖さを盛り上げていく要でもあるので、それを削がれてしまうことはデメリット以外の何物でも無い。
 こんなところで目新しさを追求する必要など微塵も無く、相変わらずこの著者の力点の置き方には、違和感しか感じられない。
 最初の頃よりはずいぶん文章もこなれてきて、文の拙さでがっかりする、ということは無くなったけれど、どうも好きにはなれない。

 
 
 

久田樹生/「超」怖い話 怪仏


 薄い。
 勿論厚さがではなくて、内容がだ。
 とても久田怪談とは思えない。

 前回の「怪神」と対を成し、今回は「仏」関連に絞られている。
 元々仏教、あるいは仏さま、というのは基本有難いものだし、何やら怪しいものを芯に秘めている日本の神さまのように「祟る」ということもない。
 さらに、ネタ的にも個人的に好みである不条理な話や異世界譚のようなものも概ね排除されてしまう。
 そうした制約や嗜好性に拠るところがあるにしても、今回は怖くなかった。

 最初に目次を見たら話数がかなり少なく、これはじっくりと語られる話が多いのか、と期待していたら、実のところ一つの括りの中で独立した話にはし辛い程度の小話が連ねられている、というものが多かった。
 これも薄味になっている大きな要因の一つだろう。

 冒頭の「警告」はどちらかと言うと日本的な土俗神に関わる話。
 初っ端から何故か規範を逸脱してしまっている。何か障りがあって、話の設定を変更しているのだろうか。
 しかし、この神、社を建てても怒るとは何と理不尽な。日頃よく神社にはお参りしているのでちょっと怖くなる。
 でも、文化財に指定されるような神社はそれだけ開かれている、ということだし、それを許している時点で神様も鑑賞するという行為を許して下さっているのだろう。
 鈍いからかもしれないけれど、これまでそんな妙な気分になったことは一度も無いし。
 
 「五右衛門風呂」のような釜は鳴くことがあるようだ。
 有名な吉備津神社の鳴釜神事のようなものまである位なのだから。
 確かに母親に怒ったことが何なのかとても気にはなるけれど、それは怪異ではなさそうだ。
 時代を感じさせるし興味深い話ではあるものの、これは怪談と呼べる程のものではないのでは。こういったものまで載せてしまっているあたりに今回ネタに余程困っていたのだろうか、と思わされる原因はある。

 「元凶」はなかなか壮大な因果譚で読み応えはある。
 しかもこうした話としては珍しく因果の答えも、おそらくは、という形で想像させてくれてすっきり出来る。
 だが、これもまた根本的に怪談なのだろうか。
 立派に見えていた仏壇がいざ取り壊されてみると張りぼてでみすぼらしくすらあった、というのは不思議とは言え、暗い中で特別な雰囲気を持って飾られているとそう見えてしまっていたということも充分に考えられる。
 母のエピソードにしても、本人であった可能性もあり、そうでなかったとしても誰か確認したわけでも、あり得ない出来事が起きたわけでも無いから、別人を勝手にそう思い込んでしまっただけ、かもしれない。少なくとも、怪異と決めつけられるものでは無い。
 義父の死も、謎が全く解かれていないので、単に母親が責任を感じていただけ、とも思える。
 ぐっと引き込まれる話ではあっただけに、何だかかえって悔しい。

 「古刹にて」のうち“神木を売る” 。
 こういう、多数の人間が皆はっきりと認識している事件というのはやはり興味深い。
 一旦倒壊したのは確実なものが、一夜にしてまた直立し蘇りまでしてしまった、というのは何とも凄い。男の死などおまけのようなものだ。
 しかし、考えてみると、お話をされたのは僧侶としても、この話はまたもや仏の話ではなく神の祟りだ。
 やはり怪談としては仏より神さまの方が数段面白く、そして怖いのかもしれない。

 こうしてエピソードを拾い上げようとしても、元々印象に残る、新鮮だと感じるものが少なかった。
 そろそろこうしたテーマ性の強いものから離れて、純粋に「怖い話」を読ませてもらいたいものだ。