始まりは2002年


 
 
 体温34度、最高血圧70。

 救急車で運ばれている途中、測定結果を報告する救命士の声がぼんやりと聞こえてきた。

 人間の体温ってそんなに下がることがあるんだ、とちょっと驚いた。
 いつもなら最低血圧が80を超えてしまっているのにそんなに低くては末端まで血液が送られないのでは。
 ぼんやりとした頭でももしや自分の命は結構危険な崖っ淵ぎりぎりまで迫り落ちかけていたのではないか、ということに思い至った瞬間であった。

 2002年6月8日、東京メトロ白金高輪駅にて昏倒し救急搬送されて北里大学病院に緊急入院することになったのは、結論から言えば「食物依存性運動機序アナフィラキシー」(昔医師からそう教えられていたのだけれど、ネットで調べると「運動誘発」と言うらしい。呼び名が変わったのか元々間違って教えられていたのか)という奴だった。
 小麦を食べてあるレベルの運動をすると、劇症形のアレルギー症状(アナフィラキシー)を発症してしまうことになる。

 この病気の不思議なところは、アレルゲンを食べるだけでは何も起きないことである。
 基本的には通常と何も全く変化が無い。
 例え腹一杯に小麦食品を食べようとも、それによってじんましん一つ起きたりはしない。
 ただ、一旦出てしまうと自分でそれをコントロールすることは出来ず、命の保証すら出来なくなってしまうのだ。

 そんなことはこの日まで全く知りもしないでいた。
 この時点まで、我が身に異変が確実に起きつつあることにも気付かず、まるで平凡ながら気楽な「日常」を過ごしていたし、今後もずっとそうなのだろう、と根拠も無く信じていた。
 もう戻ることの出来ない過去、でしか無いけれど。

 このタイプのアレルギーは今のところ治療法は全く無い。
 ただ発症しないよう自分で日々摂生をして暮らしていくことになる。
 年をとってアレルギーに対する官能が下がってくると発症しなくなる可能性もある、との話ではあったけれど、そうなるとこちらも相当に老いぼれてしまった、という証左でもあるし、いけるかどうか試してみる、ということも出来ない代物だから基本的には一生気をつけ続けねばならないだろう。
 何らかの治療法、特効薬でも出てこない限り。

 はっきりとは覚えていないのだけれど、この前後にスギ花粉による花粉症を発症するまでは、特にアレルギー症状を起こすしたりすることは子供の頃から無かった。

 このブログでは「アナフィラキシー」に関して学んだ知識や経験を基に、アレルギーといかに共存しそれなりに楽しく暮らしていくか、について知る限りのことを記していきたい。

 次回以降、まずはこの「事件」に至るまでの過程を辿ってみたい。

Leave a Comment