大倉集古館 桃源郷展


2019年9月12日~11月17日開催

2019.9.26拝観

 ホテルの改築に合わせて5年半の休館。久々の訪問になる。
 こちらの建物も無くなってしまったもの、と思っていたら、流石に伊東忠太の建築、そのまま残されていた。
 館内にもあまり大きく手は入っておらず、地下が増設された位。
 でも展示ケースは新しくなっているのでぐっと見易くなった。

 まだ展示が始まったばかりということもあろうけれど、他の見学者は数人、というレベルだった。

 開館記念展は、蕪村や呉春を中心とした「桃源郷」をテーマとした展示。
 丁度東京藝術大学の方で応擧とその後継者たちの展示を観てきたばかりなので、作家的に重なるところも結構あった。

 このテーマになった大きな理由の一つが、おそらくはお休み中に入手されたという呉春の「武陵桃源図屏風」。
 図録で確認すると全体に黒っぽいのは本来の色味であるか疑問ではある。
 ともあれ色彩はかなり抑えられ、藤花もほんのりと淡く色づけされている程度。
 風景も人物も結構大振りに描かれており、見応えはある。
 蕪村と比べると線が細くよりきっちりととした印象がある。その遊びの無さが若干固い表情にもなってしまっているのだけれど。

 それ以外にも蕪村から始まって近代の富岡鉄斎に至る(中国ものも2点含む)20点近くの「桃源郷」画が集められており、テーマが同一な分作者による描写の違いがより鮮明に見られ、意外に面白いものとなっていた。
 「桃源郷」を描くとなると、桃は勿論としてそれ以外にも必ずと言って良い程描き込まれているモティーフがあるなど、これまで全く気にしていなかったので発見であった。それらを度のように取り入れ、どう描写するか、その辺りも比較対象として興味深い。
 個人的には呉春の巻物作品「武陵桃源図巻」(遠山記念館蔵)が好みだった。

 一緒に展示されている陶磁器や漆器は大半が既に観ているものではあった。

 展示作品は多いとは言えないものの、屏風も何点か、巻物もしっかりと展示されており、それなりに楽しむことができた。
 ただ、展示作品数からすると、入館料の1,300円はかなり高額に感じられる。
 リニューアルされる度に各所の美術館の入館料はどんどんと高くなってしまい、もう千円台は当たり前になりつつある。悲しい話だ。

 一階では「名品展」と題して所蔵品を展示。
 流石にほとんど既見ながら、国宝の「古今和歌集序」などはやはり美しい。

 今回、展示室内にエレベーターが新調され、基本一階前半を観た後そのエレベーターで二階に上がるような順路になっている。
 が、このエレベーター、今風にいろいろ語りかけてくるタイプなので、誰かが乗ってくる度にその音声が展示室内に響き渡ってしまう。合成音声的な違和感のある声質もあって、結構気を殺がれる。
 安全・運用上難しいことかもしれないけれど、できれば何とかして欲しい。


東京ステーションギャラリー 岸田劉生展


2019年8月31日~10月20日開催

2019.10.9拝観

 会期もいつの間にか終わりに近く、丁度すぐ前にはNHKの「日曜美術館」でも取り上げられたばかりというタイミング。
 かなりの混雑を覚悟していたのだけれど、時期的に考えて空いていないのは当然としても作品前の行列などは生じておらず、多少前後すれば好きなタイミングでしっかりと作品に対面できた。岸田劉生、有名な割りに意外に人気が無かったのか。

 東京ステーションギャラリーは展示面積も広く、しかも彼の作品のみを集めていたので少年期から最晩年までたっぷりと岸田世界を堪能出来た。

 本来的にあまり好きな作家、では無いものの、彼のメインテーマの一つ「麗子像」にはいたく興味があり、それらを観るためだけでも逃せない、とは思っていた。

 結論から言うと、麗子像はほとんど彼の画業の中でも一時期のみに集中して描かれたもので(その理由は後述する)、油彩作品となると更に限られたものではあった。更には東京国立博物館所蔵の重文作品や、泉屋博古館が所蔵している「二人麗子図」という実に不思議な作品などは東京会場では展示されず。
 どちらも既に観たことはあるけれど、特に後者など既に16年も前に一回のみだったし、それも泉屋博古館分館のオープン記念展として様々な作家たちに紛れてのものだったので、全く記憶には無い。こうしてきちんと流れに沿った形でじっくりと観ることで発見も沢山あったのでは、と思うと何とも残念だ。

 ポーラ美術館の油彩作品を改めて観ると、やはり凄い。眼の中の水分も見て取れるし、着物など手触りすら感じさせてしまう。決して写実、というわけでも無いのだけれど、その描写力は見事なものだ。
 それだけに、二年位の内にリアルからどんどんと遠離り何だか人形のようなデフォルメされた造形になってしまうのが不思議でもある。
 初期の麗子さんが常に暗い表情なのも意識的なものかと思っていたら、長時間のモデルを強いられた苦痛でひっそり泣いていた、と知り納得した。と同時に同情も。
 それが後半になってくると曖昧な微笑をたたえるようになってくるのもまた妙ではある。

 38年という短い生涯の中で、彼はどんどんと作風も描くモティーフも変えていっている。晩年には日本画までも。まるであまり長くないのをあらかじめ知っていたかのような駆け抜け方だ。
 有名な重文作品「道路と土手と塀」にしても、こうした風景画を描いていたのは代々木に越したこの頃がほとんど。結核に冒されたこともあってまもなく静物画などに移行してしまう。
 1913年に積極的に描かれた肖像画、特に自画像が年初頃と年の終わり頃とでは、進歩・成長と言うよりも画風そのものが変化していて驚かされる。
 先の麗子像もそうだけれど、何か特定のテーマ・画風に興味を持つと集中してそれに取り組み、そこで一気に頂点まで(重文指定されるレベルまで)至ってしまう、というのは怖ろしい才能だ。
 ただ、もうちょっと一つのテーマを継続的に極めていったらどうなったのか、それを見たかった気もする。
 一方でそうなっても現状を超えることは無かったのでは、という気もちらりと。

 個人的には1912年頃、という初期のもっぱら自宅周辺(銀座辺り)を描いた風景画の省略されたシンプルな画面と華やかな色味が気に入った。小品ばかりながら。

 また、最晩年の「満鉄総裁邸の庭」は、どの色もキラキラと光り輝いており、見惚れてしまう。この上なく美しい。
 これは彼の命の最後の灯火が注ぎ込まれたから美しくなったのか、ここへきての画風の変化なのか、それとも全く偶然の産物か。もっともっと索の作品を観てみたかった。実に悔しい。

 肖像画の中で、大抵の場合手にお花を持たせている。それが何とも可愛い。ただ、例えいかめしい容貌のおっさんであってもそうなので、かなりのミスマッチとなっている場合もある。その辺りは全く気にしなかったのだろうか。
 しかも後年になる程、麗子像に限らず姿のデフォルメが激しくなり、顔のバランスもおかしくなってくるし、顔の大きさに比して手や体の大きさが明らかに小さくなってしまっている。何とも変な感じだ。写楽の大首絵に通ずるような印象すらある。

 また、晩年近くに多くなってくる日本画については、流石に達者な画力の作家なので程良くまとめてはいるものの、洋画のように迫ってくるものがあるわけでも無くかといって無我の境地にまで抜けきっているものでも無いので、あまり面白いとは感じられない。

 ただ、今回こうしてまとめて観ることが出来、思ったよりもピュアで明るい色彩を度々使っていることが判り、そこに惹かれた。
 先の「満鉄総裁邸の庭」は勿論、初期の風景画は全体にそうだし、風景画の背景の青はいずれも素晴らしい。
 麗子像や村娘像の服装に使われている色も鮮やかにして繊細。
 さらに初期の「橋」という作品で描線の上に載せられた緑色をとりわけ美しいと感じた。
 このようにその色遣いだけで充分に玩味出来る作家・作品であることが再認識できた、という意味でも訪れた甲斐はあった。