東京都美術館 クリムト展


2019年4月23日~7月10日 開催

2019.5.23拝観

洋画の展覧会は会期が長いことが多く、これも3か月半というロングラン。
とは言え、後半になる程混むのが常の上、クリムトは日本では人気作家なので下手をするととんでもないことになりかねない。
まだNHKなどで取り上げられないうちに、と5月23日に急いで訪問。

案の定、まだスタート一か月、平日の午後にも関わらず、チケット購入は既に行列。五分以上は待つこととなった。

中に入るとやはり最初のコーナーはかなり混んでおり、二重三重に列を成している。
勿論このロビー階はほぼ飛ばして一つ上の1階に移動するも、あまり混雑状況は変わらず。そのまま更に上がって2階に廻ってしまう。
どんな展示でも、後半になってくると観飽きてくるのと疲れてきたりもするので皆足が速まってくる。
結構空きがちになるだけで無く、並んでいてもその移動はぐっと速くなっているものだ。
今回も御多分に漏れず、ほとんど待つこと無くしっかりと観ることが出来た。

その後ロビー階に戻ると閉館一時間前で既に入場者がぐっと少なくなったらしく、がら空きの状態で自由に観て回れた。

内容的にはちょっと肩透かし、という印象。

「クリムト」展と作家名を冠する展覧会であるにも関わらず、クリムトのいわゆる「本画」は大分少なく、あっても小品や初期作ばかり。
珍しいと言えば言えるものの、見応えは全く無かった。

あまり主要な作品の展示が無いな、と思っていたら、後半に巨大な「ベートーヴェン・フリーズ」が。
これは凄い、と思って各部分をじっくりと見ていたのだけれど、どうもおかしい。
あまりに綺麗過ぎるのだ。
どれだけ保存状態が良かろうとも、制作後100年経っているにしては全く痛みも褪色も無いのは不自然であろう。
で、プレートを見ると「レプリカ」と。
がっかりした。
どれだけ精巧に作られていようとも、複製品には作者本来の筆遣いも勢いも無く、別物でしか無い。こうした図様の作品を作っている、ということが確認できるだけだ。
まあ、これだけ大きい作品を持ってくる、というのは容易ではないだろうし、まずは疑ってかかるべきではあった。

また、クリムトの兄弟や友人など他の作家の作品も幾つかあったけれど、特筆するようなものは無く、新たな発見は得られなかった。

クリムト作品の一番の特質は何なのか。
それは「空間性の喪失」ではないか。

多くの人物画では無背景で体も平面のようで立体感は無い。
花や風景を描いても、何とも平面的である。

若い頃の作品を見ると既にやや平面的な印象はあるものの、まあきちんと描かれてはいる。当たり前の話ながら、意図的にしていることなのだ。

同様に粗い筆致も年と共に強烈になっていくようだ。それでも顔の表現などはしっかりと行っているのでこれもあえてのこと。
個人的には精緻な方が好みなので残念なところではある。

今回の発見としては、色遣いがぼんやりとした記憶よりもずっと派手で多彩であったこと。
解説でも触れられていたけれど、明らかにゴッホの影響が見られる。
クリムトといったら金、という印象しかなかったので認識を改めさせられた。
こちらは結構好きなタイプだ。
ゴッホのみならず(ゴッホを通じて、というところも含めて)当時のヨーロッパ全般の傾向に倣い、浮世絵の鮮やかな色味が反映していることも間違いない。

肖像画においては、真横を向いていたり俯いていたり、とほぼこちらを向いていないのも面白い。つい先日観たキスリングのように目線を外す、というレベルでは無く、顔全体があらぬ方を向いているのだ。
目線に対する恐怖感でもあったのだろうか。

ここまでは5か月前に記述したのを一部リライトしたもの。
既に展示から大分経ってしまい、記憶も薄れているのでこれ位で。


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