ドリームキャッチャー


録画してずっとそのままになっていた「ドリームキャッチャー」をTVで観た。
基本的に映画は監督で観る自分としては珍しいけれど、スティーヴン・キング原作はやはり観てみたくはなる。

この後思いっきりネタばれるのでご注意。

別荘に集う幼なじみ4人。皆何か超能力を持っているらしい。
そこへ謎のおやじを救出して引き入れると、そいつからクリーチャーが飛び出してくる。
ここで主人公と思っていた4人のうち早くも一人が絶命してしまう。
しかもアメリカ映画によく登場してくるミミズ状の化物(「デューン」のワームにも似ている)が敵役かと思ったら突如グレイまで現われてくる。
もうこの辺りで認識が追いつかなくなってくる。
アメリカ映画では、この手のミミズ形の化物、というのがよく登場してくるなあ。日本人にはあまり怖いものには思えない気もするのだけれど、向こうの人には何か根元的に恐怖を感じさせるところがあるのだろうか。

しかも、この直後突如場面も登場人物も一新され、軍隊が登場してくる。
化物の正体が宇宙人であることが明かされ、既に25年?戦い続けていると語られる。
人情味ある役を主にやっていた印象のあるモーガン・フリーマンがちょっといかれかけたばりばりのタカ派軍人として描かれている。違和感が半端ない。
不時着した宇宙船近くの宇宙人を撃ち捲っていくシーンはちょっと「マーズアタック」的で笑えるレベルに達しており、面白い。ただ、直前まで描かれていた友情物語はどうなったの、という疑問が頭から離れることは無く、何だか妙な気分もしてしまう。

ずっと筋を追っても切りが無い、というかそこまでちゃんと覚えていないのでこの辺りにしておくけれど、とにかく内容が目まぐるしく変わりすぎてしまい、更にそれなりにいる登場人物たちがそれぞれにいろいろ背負っているものまでもちらちらとキーアイテムなどを登場させながら描かれていくので、慌ただしいことこの上ない。
何故かクライマックス直前にエイリアン相手に闘う筈の軍人同士が相打ちを始めてみたり、といったよく分らん展開が加わって混乱に拍車をかけてしまう。
 あまりに酷いのでチェックしてみたところ、やはり原作は文庫本4冊分とか。それは無理だわ。
 あの映像は最高、だけどストーリー面では最低な怪作(個人的にはかなり好き)「デューン(邦題:砂の惑星デューン)」と全く同じだ。あれも長くて哲学的でもある内容を2時間に詰め込もう、という無理が完全な崩壊を来してしまった例だ。
今流行の前後編とか三部作とか、それはそれで好きでは無いけれど、もう少し考えないといけないところだろう。

たまげるのはこうしたトンデモとも言える映画を、原作者スティーヴン・キングが激賞していること。
おそらくは筋通り映画化しているのだろうけれど、ここまで観客を無視した作品もそうはない。
やはり原作者はなまじ内容が分かってしまっているだけに、それが初見の人に理解できるかどうかは関係なく、いかに自分の原作を忠実に「映像化」しているかだけが気になるのだろう。
こうした人であれば「シャイニング」をこき下ろした、というのもまた納得がいく。あのオープニングだけでもう存在価値が比類無いと思える傑作も、作者からすれば自分の小説をテーマまでぶちこわした極悪人、位に思えるのかもしれない。

この作品の監督ローレンス・カスダンという人、全く聞いたことが無かったけれど、「レイダース」や「スター・ウォーズ エピソード5・6」などの脚本家らしい。
確かに、この長い作品の謎やキーの回収などは概ねきっちり出来ている。その辺は流石、と言うべきか。
もっとも、だから面白い、というわけでは無いのは辛いところ。

先に挙げた「シャイニング」のオープニングなど、映像的にキング原作映画へのオマージュ、もしくはパクリが随所に登場しているのも面白いところ。ま、当然意識してしまうところだろうし意識されることも判っていただろうから意図的なものだろう。
元々、内容自体もそれ程キング作品の全てを知っているわけでは無い知識でみても、いくつかの作品とかなり共通しているところがある。「ミスト」とか「スタンド・バイ・ミー」とか、アメリカ・インディアン絡みで「ペット・セメタリー」とか。
ネット情報でみても、やはりいくつかの作品を混ぜ合わせたようなものになっているようだ。

一番判らないのは、題名にもなっているアメリカ・インディアンの装飾品「ドリームキャッチャー」というのが、主人公たち5人の関係と重なっている、という描写はあるものの、結局何の役にも立たず、エイリアンの排出物か何かででろでろになり燃え落ちるだけに終わってしまったこと。
やはり原作ではもう少し活躍の場があるのだろうか。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です