佐藤達郎さん/人前であがらない37の話し方


 会社員時代、一貫してマーケティング部門に所属していた。
 業務として中心になっていたのは、プレゼンテーションである。
 競合のコンペティションから打合せレベルのものまで、内容もハードさもさまざまではあったけれど、とにかくクライアントに行って企画書なりメモなりなどを元にしながら、何らかの提案や報告などを行ない続けてきた。何百回ではきかないかもしれない。
 週に一回行なったとして、二十数年の年月を重ねてしまったので、ざっと千回は超える回数そんなことをしてきたことになる。
自分でもびっくりだ。

 打合せレベルでは気楽に望めるものはあったものの、本格的なプレゼン、特に競合ともなるとその緊張たるや尋常では無かった。
 会場に向かう道中、車の中などではぎりぎりまで企画書を読み返し話すことを暗唱するように練習していたし、先方に着く頃になるとプレッシャーもMAXに達し、プレが先方の都合だとか何かのトラブルとかで中止もしくは延期にならないか祈ったりしたものだ。
 いや、実際そうなったとしても同じ緊張を再度味わうだけなので無駄なことなのだと重々判ってはいても、だ。

 そして、プレゼンテーションが始まる際、総合的なプレゼンテーションでも、ほとんど最初に口火を切るのはマーケからだ。
 えらく緊張した場の中で、ともかくも話し出さねばならない。
 まあ、手許に企画書がある場合がほとんどなので、それを読み出せばとりあえずスタートは出来る、というのが唯一の救いだったか。

 プレの直前になって、ええい、後はなるようにしかならん、と開き直ることで何とか気力を取り戻せても、自分のパートが長い場合には、次の試練が待ち受けている。
 担当部分が十五分なり二十分位のものになってくると、途中、大体真ん中位で頭が真っ白になってくるのだ。
 緊張が続き過ぎて、脳が酸欠になってくるのだろう。
 若い頃は特にそうだった。
 こうなるともう自分を騙し騙し話し続けるしか無い。
 その内に何とかパートを終了するか次第に常態に戻ってきて事なきを得る。
 流石にクライアント前で倒れたり完全に話せなくなってしまった、ということは無かった。
 でも、こうして書きながら当時の気分を思い出していくと、それだけでまた軽く手が震えてくるような気がするし、ちょっと気が重くなってくる。

 それと同様に多かったのは社内会議。
 参加回数は当然こっちの方が何倍も多かったのだろう。
 こちらも大抵の場合、憂鬱だった。

 この場合にも、調査の結果なり企画メモなりを持参して、こちらから話し出さねばならないケースが多いからだ。
 しかもクライアントよりも遙かに訳の分らんオーダーなり反論なりをされることも多々あり、その度に当然ながら何らかの対応を余儀なくされる。

 自席で企画書を作成したりする作業は全く嫌いでは無い、というよりある種の楽しみすら感じさせてくれるものだったので、出来れば企画書だけ書いて後は提出するだけ、とか誰か別の人が話してくれれば、という願いは常に持っていたものの、それが実現することなど無論なかった。

 元々人前で話をするのは好きでは無かった。
 これは今でも全く変わってはいない。
 広告会社のマーケッターというものがこのような職種であると知っていたら、果たして選んだかどうか。

 そんな頃に、今回取り上げた本の著者、佐藤達郎氏に出会った。
 同じ業務に参加するマーケとクリエイティブ、という立場で一緒にやることになったのである。クライアントは残念ながらもう覚えてはいない。

 佐藤氏は、というよりその時点からずっと「達郎さん」と皆にも呼び習わされており、そちらで無いとしっくりこないので失礼ながら達郎さんと表記させていただく、達郎さんはとても穏やかで話し易く、また御自分でも何とも自然体でのびのびとお話をされる方だな、という印象であった。

 なので、その実この本の冒頭に書かれているような葛藤を抱えていたとは驚いた。衝撃だった、と言っても良い。
 傍から見お話をする限り、達郎さんはそういうものとは一番縁遠い方のような印象を受けていたので。
 知り合ったのが比較的後だったので、既にさまざまな技を身につけて変わられた後の姿であった、ということなのだろう。
 そういう意味では、ビフォーを知らなくとも、この本を読むことで得られる境地、というものを自ら体現されていたわけだ。
 最高のケーススタディということになる。
 
 
 
 広告会社を辞めギャラリーという商売に就いた時、当初プレゼンや打合せのプレッシャーから解放されたことは無上の幸せであった。
 しかし、自分が接客も担当するようになり、お客さまとさまざまな話をするようになってくると、おや、と思いだした。
 特に単に世間話をするのでは無く、作品をお求めいただこう、とセールスアプローチをかける、という行為は、まさにプレゼンテーションと変わりなく、むしろその勝負はもっと真剣な切合いなのだ、と気付いて愕然とした。
 人間、楽など出来ないものなのだ。

 とは言え、この戦いはその結果がその場で明確に判るし、その結果が全て自分に跳ね返ってくる。
 厳しいものであると同時に、磨き甲斐はこれ以上のものなど存在しない。
 自分なりにも日々模索しつつも正解の無いものなので、悩むことも多かった。
 そこへ、あの達郎さんが「人前であがらない37の話し方」という本を執筆されたと知り、これは参考になるかも、と飛びつくことになったのである。
  
 
 
 最初のテクニックとしてあげられている「暗記しない」というところでまずはなるほど、と思った。
 自分のプレの場合には、大抵「てにをは」まであらかじめ予定しておいて、それを話すことが多かった。
 それでも、先方の都合だったりその他さまざまな事情で予定通りいかず変更せざるを得ないこともしばしばあった。
 その時はもう開き直るしか無く、状況に合わせて内容をつまんだりしながら話していくしか無かった。
 それでも、とにかく途中で詰まってしまう、ということが一番怖かったのでそうした準備は止められなかった。本当に繋ぎの言葉が急に出なくなったことでパニックになりかけてしまった、などということもあったりしたので。

 落語も、聞くところでは粗筋しか覚えておらず毎回適当に作りながら話しているのだという。勿論得意ネタなどは細部まで記憶してしまっているものも多いだろうけれど、本来演目もその場で客層や雰囲気などから決めていくものらしいから、そうでなければ対応できないだろう。

 とは言え、若い頃だと、適当に話せ、といわれても何も出てこない、ということはあったかもしれない。ある程度の経験を経て、話を繋いでいく技術は必要になるかもしれない。

 また、話したいことの本質、これだけは話しておきたい、ということを明確にしておくことも大事だ。
 それが強く意識できていれば、それを話すためにはどうすれば良いか、言葉はどうあれ話が詰まってしまうことは無いだろう。

 今の商売では、暗記してそれを同じように説明する、というようなスタンスでは会話が成立しない。
 お客さまの個性や関心に合わせて、話す内容も話し方もその深さも変えていかなければならない。
 そうした時、暗記では無いプレゼンテーションのあり方は重要だ。
 
 
 
 「プレゼンテーションは相手の心を動かすために行なっているものである」ということと「相手は何かのポイントで決めている」というのも大いに頷ける。
 セールスもとにかくその作品を今ここで買おう、という気持ちを固めてもらわねばならないのだから、説明や理解では無く、気持ちを動かしていくような説得が必要になってくるのだ。

 そのポイントは総合評価では無く、大抵何か一つのポイントだ。
 但し、そのポイントは人によってさまざまなので、こちらとしては一点に絞ってしまうこと無く、思い付く限りのポイントを用意しつつ、それを相手によってチョイスしたり、初めての相手には探りながら幾つかぶつけてみる、といったような形でアプローチしていくことになる。
 
 
 
 リハーサルはほどほどに、というのはいわゆる業界常識とは反するような話なので、ちょっと驚かされた。
 ただ、これまで挙げた内容と照らし合わせてみても、今ならその正しさはよく判る。
 まあ、別のところで準備はしっかりと、という話もあるので、ぶっつけで良い、という勧めでも無いわけなのだけれど。
 確かに変に手慣れてしまって流れるようなプレよりも、たどたどしくても思いや意気込みが見えるプレの方が印象は良さそうだ。
 外資系クライアントの営業なんか、やたらリハが好きだったなあ。

 「相手のホンネを汲み取る」「相手に話をさせる」というのは、ついつい忘れてこちらから一方的に押しつけるような説明や提案をしてしまうことが多いので、気をつけねばならないポイントとして意識化できたのは良かった。
 そうした方が、相手の関心や好みも判ったりし、アプローチの方向も見えてきたりするかもれない。先の決定ポイントを探り易いのだ。
 
 
 
 後半で紹介されている「~」法の数々。
 笑顔であったり、相手を受けてから入っていくことであったり、真意を探る質問でありといったことは、既に実行しているものも勿論あるにしても、日々実行しなければならないことばかりだし、手慣れてくると逆に忘れてしまったりしかねないことでもあるので、このように明文化されていると、自分へのチェックポイントとして意識し易い。
 特にこちらから「こういうことでしょうか」と聞くという質問の返し方などは、まさにその通り。
 相手もはっきりとした答えなど持っていないことの方がむしろ普通だから、何かヒントを与えないと何も出てこない危険性は高い。
 
 
 
 「見られるばかりで無く、相手を観察して評価することで冷静になれる」というのは気付かなかった。
 確かにそうかもしれない。いずれ機会があったら試してみよう。
 
 
 
 終わり近く、「相手のペースに気を配る」というのは、元来早口で、壺に入ると蕩々としゃべってしまう、という癖のある自分にとって、注意せねばならない重要な指摘だ。
 
  
 
 この本を読み終えた夜、会社員時代のように、クライアントと打合せをし何かの説明をしている、という夢を見てしまった。何故かプレでは無かった。
 それにしても、なんて単純なのだろう、と自分に呆れてしまった。

 この本のマイナスポイントは、そのように悪夢を見せる効果がある、ということと昔を思い出して口の中に苦い何かが溜まり手に厭な汗をじんわりとかいてしまう、といったあたりだろうか。
 それだけ実践的、ということだろう。

 自分も好むと好まざると人前で話をする、という職業をしばらく続けていたので、今回の内容が全て新鮮で意識していなかったことばかりというわけではなかった。
 それでも目を開かせてくれるような発見も幾つもあったし、何より途中でも書いたように、判ってはいても忘れがちだったりつい疎かになってしまうようなポイントを改めて意識化し、チェックできるようにしてもらえた、ということのメリットは相当に大きい。
 本当に有難い本であったし、このタイミングで読めたのはラッキーであったように思う。
 まあ、これから実践できれば、の話だけれど。

 昔から、本を一度読んでもほとんど覚えておけない、慢性健忘症のようなぼんくらなので、今後この本を何度も読み返して、暗記はしないにしろそれこそ骨子は覚えるようにしておきたい。